水原一平の件からギャンブル依存症の話題が盛り上がりを見せている。
ちょっと競馬やパチンコをやるだけで、どうこう言う奴も見かけるようになった。
「ギャンブルさえなければ水原一平はあんなことにならなかった…」とでも言いたげな風潮も目に付く。
それは事実かもしれない。
しかし、致命的な依存症を抱える人は、何かしらに依存する運命にあっただけで、それがギャンブルであり、アルコールであり、薬物でありといったところではないか。
何より、人間はどんな幸せな境遇にあっても、いい意味でも悪い意味でも何かしらに依存する。
それが家族なのか、ペットなのか、恋人なのか、趣味なのか。
1人暮らしの女性を捕まえて、「あなたはペット依存症だ!」と糾弾する人がいるだろうか。
ペットを飼うことは基本的に人畜無害だから咎められず、ギャンブルや酒などは人畜無害とは言い難いので咎められる、それだけの差である。
種類を問わず、依存症を抱える人はプライベートで闇を抱え、生い立ちが順調とは言い難い人が多い。
オンラインカジノに手を出してしまった人の話を色々と聞くと、コロナ禍をきっかけに、やることがなくなってついつい手を出した人が多い。
それはボートレースや競馬にも言える話である。
幸い自分はケチで疑い深いなので、オンラインカジノに手を出すことは昔はもちろん、未来も絶対ないと断言するが、免疫がない人はやってしまうのかなと思う。
オンラインカジノに手を出す人はWINNERなんぞやらないだろう。
依存症を防ぐには原因となるものを根絶すればいいと考える人があまりにも多い。
しかし、人間は何かしらに依存する。
一切依存せず、完全に自立することなんてそうそうできることではない。
子供に依存し続ける親は毒親となるように、依存するものが何であれば、過ぎれば毒だ。
万引きや性犯罪などの常習もある種病気であり、依存症としてはタチが悪い。
これらの病気を発症するに至るのは、挫折体験などをきっかけとすることが多い。
モヤモヤした気持ちを買い物でスカッとさせる経験から買い物依存症になる人もいるだろう。
そもそも趣味なんてのは、依存症であり、目くじらを立てようと思えばいくらでも立てられる。
仕事人間も仕事依存症である。
屁理屈に思われるかもしれないが、誰しもが依存症になる以上、人畜無害ではないものだけをピックアップし続けるのは、いずれカウンターパンチを受けるきっかけになる。
弱者ムーブという言葉が出始め、弱者としての立ち回りに嫌気が差す人も増えていくことだろう。
人間は何かしらに依存する、人間は挫折体験があると何かに依存したくなる、何に依存するかは「依存ガチャ」である。
ただ、幸せな人生をベースにした人の「依存ガチャ」は人畜無害なものが選ばれやすい。
苦しい境遇をベースにした人の「依存ガチャ」は有害なものが選ばれやすい、それだけのことだ。
だから、人畜無害のもので依存させるためにも、幸せな人生を歩めるような流れに持っていかないとすぐに破綻する。
薬物もそうだが、常習に陥る人で幸せな人生がベースになっている人は、仕方ないがまずいない。
常習に陥っても変わらず無償の愛を捧げ続ける人はそうそういないだろう。
ただギャンブルを辞めさせる、酒を取り上げる、これだけでは何の解決にもならない。
そこまでして依存症の人を救いたいならば、全力でその人に無償の愛を捧げ続けることは必須だろう。
10回でも20回でも裏切り続けられても変わらず愛し続けられる人が周りにいれば大丈夫だが、そんな人はいるだろうか。
家族ですら1回のしくじりで愛想を尽かして離れようとする時代である。
本当にギャンブル依存症などを根絶したいのであれば、「幸せな人生」を自覚させなければならない。
それができれば、ノーベル平和賞どころの騒ぎではないだろう。
憎いのはギャンブルや酒ではなく、良くも悪くも依存なしでは成立しない人間の性質にある。