こんにちは!
一応aroaukunという名前にしていますが、元々あったものをもじりすぎて原型がありません。
なので、これ自体にさほど意味がないことをご了承ください。
さて、パチンコパチスロの出会いですが、間違いなく父親です。
幼稚園ぐらいの時に、アンパンマンのパチンコとスロットを買ってもらいました。
今なんか、知育おもちゃが結構出ていますが、どんな知育につながるのでしょうか。
まぁこんな「知育」につながったんだなぁと思っていただければ幸いです。
ワンピースがスクラッチくじになる時代なので、いいんでしょうけどね。
父親がとにかくパチンコが大好きで、母親の話を聞く分には、クズなことをしていたようです。
家に女房、子供がいるのに、なけなしの金を握りしめ、パチンコに向かう。
ダメ人間の所業という感じですね。
先日も放送されていたTVチャンピオン、過去に、パチンコ王選手権というのがやってました。
あれが父親が大好きで、裏にマジカル頭脳パワーがありながらもその日はTVチャンピオンが優先。
なぜパチンコ王選手権を取り上げないんだ!と先日のスペシャルを見た父親は激怒していました。
新型コロナウイルスで営業自粛の最中に、だれが取り上げんねんという話なんですが。
あと、DAISUKIという番組が深夜にやっていたんですが、あれを父親と一緒に見ました。
前回紹介したダビスタで深夜0時ぐらいまで起きて、そこからリアルタイムでDAISUKIを。
パチンコの回を、深夜に、父親と小学生の息子がリアルタイムで見る、もうおしまいです。
当時小学生、父親と一緒に寝ていましたが、パチンコ雑誌が散乱。
自分も見てたのですが、まぁなんのことやらわかりませんし、風俗やテレクラの広告も散々目にしました。
ニンテンドー64は父親がパチンコで手に入れた景品ですし、パチンコゲームも山ほど。
そんな「英才教育」を受けると、そりゃこうなっちゃうわけなんですね。
でも、実際にパチンコパチスロを打ち始めたのは、24歳の時でした。
競馬への情熱が高く、パチンコパチスロに向かなかったというのが真実です。
それでもパチンコパチスロを打ち始めたのは、当時パチンコAKBが出たから。
SKE48が好きで、面白そうだから打ってみるかと打ち始めたのがきっかけです。
パチンコAKBでは2万5000発出したことがあります。
その時期は、店舗責任者とスタートアップの責任者、エリア開拓の鉄砲玉。
文系を極め、体育会系のやり方が大嫌いな自分には、あまりにも重荷で、ギリギリだった時です。
その2万5000発や、同じ時期に万馬券を結構当てて、一気にバランスがおかしくなりました。
勝ちすぎるのはよくないです。
パチスロは父親もノータッチで、そのきっかけもまたパチスロAKB。
いわゆるビギナーズラックで、パチンコの負けを取り返しちゃったのがきっかけでした。
そこからは両刀使いで、スペックがクソと言われる台などを好んで打っています。
だから凱旋とかハーデスとかあんまり打たないんですよね。
ジャグラーは、10分20分の時間調整で打つぐらいです。
改めて思うのは、子供にパチンコやパチスロのゲームをやらせたり、番組を見せたりするのはよくないということ。
こうなっちゃいますから。
スラムダンクとかドラゴンボールなんかより数段面白いと思っちゃったわけです。
皆さんはお子さんに、ちゃんとワンピースや鬼滅の刃を見せてあげてください。
小学校で、「G-STOPの鏡高確はヒリつくよね!」なんて会話は通じないので。
それでは失礼いたします。