今週のお題「お父さん」
私の父親は、暇さえあればYouTubeで色んな人の動画を見ています。
自分もYouTubeは見ますが、HIKAKINやヒカルといった誰もが知っているようなYouTuberの動画をただの1度も見たことがありません。
それを、還暦を過ぎた父親は結構見ており、これらのYouTuberに詳しいわけです。
そんな父親は、テレビのチャンネルが定まらず、堪え性もないのか、すぐに変えます。
こういう視聴者がいるから、くだらない演出手法で視聴者を食い止めようとするんでしょう。
でも、YouTubeだと早送りもでき、見たいところにすぐに戻せるわけですから、便利なものです。
テレビは面白くないと、ここ数年口癖のように父親は言っています。
頭で考えるような番組とかニュースとかそういうものが見られない体になっているようです。
不幸中の幸いなのが、右傾化した、間違った知識で作られた動画を見ていない点です。
パチスロパチンコ、大食い、お笑い、そんなものばっかり父親は見ています。
先日、山本彩が「げいにん」という番組で、お笑いに挑戦している動画を見て笑ってました。
あれだけ、お笑い番組を毛嫌いし、最近のお笑いはつまらないと言っていたのに。
父親は、西川君でおなじみの「レギュラー」が好きなようです。
そして、お笑いBIG3やサンドウィッチマンに対し、面白いと感じないそうです。
絶対変わり者なのに、俺は普通の中の普通の人間だと言い張ります。
仕事場でもモラハラ、パワハラな感じなようで、記憶違いが父親にあるのに、それを認めず、相手を屈服させます。
それで、後輩などを見下し、俺がいなければ何も変わらないとばかりに今も職場に行っているようです。
家族に対しても同じですが、自分は物理的にも精神的にもソーシャルディスタンスをそれなりにとっています。
以前は2時間3時間白熱した議論を交えて大ゲンカをしていました。
でも、終わりはいつも、ストレスが発散できてよかったと言わんばかり。
お前だけストレスが発散され、周りは死にたくなるくらい傷ついているのに。
そういうのがあるから、議論もしないですし、やりたいようにやらせます。
父親に感謝するのが父の日である、そんなことは百も承知です。
しかし、家族には色んな愛の形があり、お互いにそれが歪みまくることはあります。
父親は、オヤジと言われたいようですが、自分は頑なに「お父さん」と呼び続けます。
俺もついに、オヤジと言われるようになったかと、しみじみと己の人生を振り返ってもらいたくないのです。
じゃあ、父親が死ぬときに「オヤジ」と言うか、まぁ言わないでしょう。
もうさすがに、父親を憎むという気持ちはありません。
憎むというのは、大好きな気持ち、愛情が変質して生まれるものです。
父親を好きだなんて思ったことはないです。
だからといって、確執らしい確執もないです。
ただ、うちの家族は、みんなが強い悪意を持ち、他人の悪意に敏感なだけ。
自分のことしか考えられない余裕のない人しかいません、それは自分も含めて。
その中で、歪んだ愛情をそれぞれが持ち、お互いに投げ合っているんです。
ナックルボールのように愛情を投げ合っています。
ストレートの愛情を投げられる家族だけが、父の日で盛り上がればいいと思います。
カーブな愛情、シュートな愛情、スプリットな愛情、色々あります。
家族の形はみんなそれぞれ違います。
ナックルボール的な愛情を投げ合うのは、はたから見れば奇怪です。
でも、それで成立しているんです。
だから、父の日も母の日も自分は好きではありません。
両親からストレートな愛情をもらっていないやつが、なぜストレートを投げられるのか。
父の日や母の日で親孝行できる人は、誇らしげにしましょう。
世の中には、変化球、その中でも神経を使う球しか使えない家族もいるんですから。
それでは失礼いたします。