ギリギリ昭和生まれなので、スペシャルウィークが現役だった時は小学生だった。
しかし、父親がWINSに連れていくなどして、小学生の時から競馬は好きで、ダビスタもやっていた。
だから、スペシャルウィークの現役時代は、ある程度リアルタイムで知っている。
個人的に印象に残っているのは負けたレースが多い。
1999年の宝塚記念。
グラスワンダーがスペシャルウィークを交わす際、杉本清が「もう言葉はいらないのか!」と実況していたが、正直まさかという気持ちが強かった。
グラスワンダーのところで語ろうとは思うが、京王杯スプリングカップでギリギリ勝ち、安田記念で負けた馬が、まさか宝塚記念で勝つとはと思っていた。
それくらいグラスワンダーの辛勝と惜敗が当時記憶に残っていて、それも少し衝撃だったのかもしれない。
そして、京都大賞典。
まさかああも負けるとは、思いもしなかった。
毎日王冠ではグラスワンダーがやはり苦しみながら勝っている中で、あっさりと負けた。
天皇賞秋。
当時ステイゴールドがシルバーコレクターだったという理由で、子供ながらに気になっていた。
だから、ステイゴールドが抜け出した時は、ついに勝った!と思った。
それがスペシャルウィークに抜かされてしまう。
スペシャルウィークとステイゴールドの馬連が万馬券だったというのは、今思えば不思議である。
前哨戦で負けることは別に不思議なことではない。
その年の天皇賞春にも勝っているダービー馬が、武豊を背にしているのだ。
当時の武豊は今よりもカリスマの扱いである。
それが4番人気という時点で不当も不当。
ステイゴールドも同じで、この年は3着が多く、前走はやはり京都大賞典で6着。
12番人気もいくらなんでも過小評価だった。
当時馬券を買えてたなら、自分は間違いなく買ってた。
そして、有馬記念。
ゴール板の手前とその先ではスペシャルウィークが勝っていたのに、ゴール板ではグラスワンダーが勝っていたという伝説のレース。
あの武豊ですら勝ったと誤認するくらいの差だった。
すごいレースだったんだなぁというのは父親が買ってきた日刊スポーツの一面で感じた。
今更ながら不思議に思うのは、エルコンドルパサーがJRA賞年度代表馬や最優秀4歳以上牡馬を受賞したこと。
1度も日本で走っていない馬がスペシャルウィークとグラスワンダーを差し置いて受賞した。
当時ですら物議をかもしたのだから、今なんかどうだろうか。
とはいえ、JRA賞はその年に限った活躍を示す通過点のようなもので、それが全てではない。
だからこそ、こうしてスペシャルウィークを中心にウマ娘が盛り上がりを見せている。
スペシャルウィークの出生時からのドラマ、そして、武豊にダービー勝利をもたらした功績、グラスワンダーとの対決など、1つ1つが輝かしい。
エルコンドルパサーにはエルコンドルパサーのドラマがあり、グラスワンダーにもそれがある。
道なき道を開拓したドラマばかりだ。
できれば馬券を買って触れてみたかった。
でも、それだったら1999年の有馬記念は別の馬から買ってたに違いない。