中山グランドジャンプと中山大障害は何が何でも行くことにしている。
昨年の中山大障害はまだコロナに対する怖さもあってか、まだそこまで多くの人が入れず、自分も行けなかった。
今年は中山グランドジャンプ、スプリンターズステークス、そして、中山大障害と行くことができた。
入場者数は、中山グランドジャンプは7,829人、スプリンターズステークスは2万2920人、中山大障害は2万7663人だったそうだ。
体感的に中山大障害の日は確かに人が入っている感じがした。
普段一緒に障害の大レースを見てきた知り合いと3年ぶりにお会いしたのだが、その知り合いも、人の多さを感じたらしい。
でも、コロナ前の中山大障害はまだまだ多くの人が入っていたらしい。
どうにも信じられない、まだこれよりも多かったのか。
古谷徹がキタサンブラックが勝った有馬記念について朗読を行っていた。
古谷徹の手が震えていた。
最初は寒いからか、そんなことを思ったが、せっかくだから近くでみようとウィナーズサークルに行くと、結構な人が取り囲んでいる。
そりゃあれだけの人が一斉に自分を見てくるとしたら、誰だって緊張するものだ。
MCの栗林さみが、キタサンブラック産駒としてイクイノックスが走ることを告げると、じゃあもうイクイノックスを買うしかないじゃん的なリアクションをしていた。
2022年の有馬記念の結果を知った今にして思えば、壮大なサインである。
アリストテレスの単複を買っている場合ではなかった。
競馬場では有馬記念に関するVTRが流れているが、そこに競馬関係者が記憶に残る有馬記念のランキングが出ていた。
トップ10に2017年の有馬記念が出てこない。
古谷徹に、競馬関係者の記憶にも残らない有馬記念の朗読をさせていたというのか。
大変失礼な話である。
中山大障害は内馬場の、しかも、あまり整備がなされていない方で見ることにした。
理由は明快で、広々としているからだ。
でも、レース直前で出走馬たちが大障害の手前まで来て下見をしているところを見られた。
その距離はかなり近い。
そして、めちゃくちゃ寒い。
近くにはインスタグラム用なのか、有馬記念の大きな馬券があり、各出走馬の単複のがんばれ馬券の前で写真が撮れた。
その撮影の様子を見ながら、まるでウエストランドに触発され、下手な悪口を連発する芸人のように、あることないことを話していた。
誰が言ってんだよと自分で突っ込みつつ、有馬記念の思いも巡らせた。
アリストテレスの馬券は買っていたので、冷静にジェラルディーナだろうなと思った。
中山大障害に関してはニシノデイジーが平地の力でしのいだように感じた。
2歳重賞を勝つような馬が、いくらオープンで頭打ちだからといって、障害に来れば普通は勝てる。
もちろん障害センスがないとダメなのだが、平地の力は大きい。
ニシノデイジーだけではオジュウチョウサン的な存在にはならない。
オジュウチョウサンのドラマは、オジュウチョウサンだけで作られたわけではない。
オジュウチョウサンと互角を演じる馬たちがあってのことである。
だから、ニシノデイジーはその力を数年保ち続け、互角を演じる馬と常に好勝負を演じないと、オジュウチョウサンにはなれない。
馬主の喜びがオーバーなのは致し方ないにして、何事も継続というのは大変なことだ。
オジュウチョウサンは偉大な馬である。
自分はオジュウチョウサンが勝ったビッグレースをほとんど見ている。
コロナの影響で無観客だった2020年中山グランドジャンプ、2021年中山大障害を見れていないだけ。
2016年4月の中山グランドジャンプから2022年4月の中山グランドジャンプまで、自分の目の前で走るオジュウチョウサンはすべて勝ち続けた。
だからこそ、この日は絶対に来ないといけなかった。
自分が見ていない時に負けたら、それはそれで悔しい。
自分が見ている時に負けてくれたら、引退も納得がいく。
だから、ラストランを見届けられたのは、自分の競馬人生の中でも一番嬉しかったことかもしれない。
オジュウチョウサンの馬券を獲る獲らないは自分の中ではどうでもいい。
むしろ、自分の目の前で走るオジュウチョウサンの馬券は1円も買っていない。
自分は天の邪鬼で、強い馬ほど1円も買いたくない。
今後のイクイノックスもそうだが、アーモンドアイもそうだった。
自分の中でそれは名馬として認めている裏返しだと思う。
大江原圭という騎手が、ここでタイトルをつかむというストーリーに賭けていた。
元々栗東所属だったが、どうにも水が合わなかったようで、関東に戻ってきた。
障害で少しずつ結果を出し、障害好きの中でもまずまず認められるようになる。
オジュウチョウサンの引退レースで大江原圭が勝つ、それはそれで痛快である。
でも、彼は5着に終わる。
夏負けを経ているわけで致し方なかったか。
ビレッジイーグルと大江原圭、その悲願は中山グランドジャンプでまた見届けようと思う。
オジュウチョウサンのような存在はもう出てこないかもしれない。
下手したら障害レースはなくなるかもしれない。
それでも、自分はオジュウチョウサンを語り続ける。
命が尽きても、語り続ける人がいる限り、その命は尽きない。
命を灯し続けるのは、多くの語り部である。
語ろう、オジュウチョウサンのことを。
ありがとう!オジュウチョウサン