この世から消えたいとか、自分は価値のない人間だとか、借金返済の最中は何度も思った。
収入源が絶たれるかもしれないという危機を何回か経験し、そのたびに絶望し、自分はもう消えるべきだろうなと感じた。
その都度、考え方を改めて復活していくのだが、債務整理などはただの1度も考えたことがない。
そして、親に頭を下げてチャラにしてもらおうと思ったことも1回もない。
これにはいくつか理由がある。
そもそも借金は自業自得なのだから、どんな顛末になろうとも自分で返すのがあるべき姿である。
あとは長い人生において、イニシアティブを握られたくないという気持ちもある。
おそらくだが、借金の肩代わりをすると死ぬまでその事実が残り、自然と上下関係が生まれる。
マウントを取られたくないというのとは違い、取り返しのつかないほどに信頼を失い、自分がこれからやることなすことを否定的に見られそうな感じがした。
債務整理に関しては第三者を介して行うものの、色々とマイナスも多い。
ブラックリスト入りしてそれがなくなるのに時間がかかりすぎる。
だからこそ、逃げずに1回も返済の事故を起こさずに済むことができた。
この世から消えたいというのは現実逃避の1つである。
甘えと断言する気はないが、他人がそのように評したとしても反論する気力はない。
ただ、全員が全員困難に立ち向かえるわけでもない。
易きに流れる人がいたとしても、それもまた人間である。
誰の手も借りずに借金返済をするのはある種、好きにさせてくれ、自由に生きさせてほしいという意思表示だ。
資本関係があるならばその人の指図を受け入れなければならないが、自分はそれが好きではない。
借金しようが何しようが、いいでしょ、自分の人生なのだから。
一生面倒を見てくれるならとやかく言っていい。
しかし、親ですら一生面倒を見てくれるわけではない。
色々なことを考えていく中で、何をネガティブに考えることがあるのだろうかと思うようになった。
借金の額面もあるだろうが、まず自分でやれることをやるのが大切だと感じた。
返済をし続け、事故なくつなげていけばそれが信用につながっていく。
この人はマジメに返してくれるという信用は、後々プラスに働くようになる。
やることをやったのならば仕方ないと他人に思ってもらえるところまでやるのがいい。
これは借金返済に限ったことではなく、本当に限界でないと本気で救済しようとは誰も思わない。
人というのは自分にはないくせして、相手には覚悟を求める生き物である。
みんな自分に甘く、他人に厳しい。
そんなしょうもないことでイニシアティブは握られたくない。
完済までの道のりは、ちょっとした意地のおかげで一歩一歩前に進み続けることができた。