新型コロナウイルスに関して、全力で無視をすると決め込んだかのように、日常に戻ろうとしている。
よく競馬場に行き、よく酒を飲む身分からすれば、日常に戻った方がどれだけやりやすいか。
しかしながら、新型コロナウイルスに感染して後遺症になるのではないかという不安がどうしてもある。
これを書いている段階ではまだ感染歴はないのだが、そろそろ年貢の納め時というやつになるかもしれない。
ブレインフォグというのがどうにも嫌で、あれになったら今の仕事はやれるのだろうかと思う。
一方で、病気というものは、どれだけ気を付けてもなるときはなる、ならないときはならない。
ギャンブルも、勝つときは勝つ、負けるときは負ける。
どれだけ気を付けていても、勉強していても、ダメなときはダメだし、いいときはいいのだ。
だから、新型コロナウイルスに感染して、仮にブレインフォグになっても、やることをやっていたのであれば自分の運の悪さを呪うだけである。
ところが、横着してやるべきことをやらずに感染し、後遺症に苦しめられるとしたら、悔やんでも悔やみきれないと強く思うはずだ。
後遺症になって一定期間棒に振っても本望だと思える覚悟があるのなら、別に何をしたっていいと思う。
ワクチンを打たないのも自由だしマスクを嫌がるのもその人の考えであれば尊重すべきである。
あとは、命の危機に直面した時に、わが人生に一片の悔いなしと言える覚悟があるかどうか。
自分にはその覚悟がないのと、得がないと感じてしまうのでやれることはやる。
セクハラやパワハラなどコンプライアンスにかかわることに関しても、覚悟があればいいと自分は思う。
不本意なことで本業に致命的な支障が出ることは誰だって避けたいはずである。
ハラスメントなどで致命傷を負うのは間違いなく「不本意なこと」ではないだろうか。
例えば、学校で体罰を働き、教師人生を棒に振ったとする。
年貢の納め時だとばかりに職を辞する教師は、それなりに覚悟を決めていた部分があったと思う。
ただ、そんな教師はほとんど見たことがない。
体罰で免職をするケースは少なく、たいていはちょっとした減俸ぐらいで済んでしまう。
そんなことで辞めさせられるの?と思う教師がほとんどで、仮に免職となれば相当不本意であろう。
不本意を本意にするのは覚悟を持つことである。
毒舌芸人もそうだが、腹を括って覚悟を決めて毒舌を放つ人は消されないものだ。
中途半端な毒を吐く人間は簡単に潰されてしまう。
その覚悟の有無が大きく左右する。
世知辛い世の中にしているのは、結局覚悟もなく、無責任で生きようと横着をする自分自身にある。
覚悟を持っていれば、自由に生きられるので世知辛さは感じにくい。
世知辛いと感じる人は、覚悟を持ちたくない人である。
嫌われてもいい、知るか!と思えると、ストレスはなくなるものだ。
コロナ禍で何かと面倒くさい人は、覚悟を決めれば、「何があっても仕方ない、それでも好きなことをする!」と思えるようになる。
少しでも不安がある人は、できることをやって、自然の流れに身を委ねるべきである。
なるときはなる、ならないときはならない。
にしても、覚悟を持っている人は本当に限られており、少ない。
色んな分野で覚悟を持てる人がどんどん増えれば、世知辛さが薄まっていくように思う。
多くの人は世知辛い状況を本当に打破したいのだろうか。
なんだかんだ世知辛い状況に順応しようとする人が多いのかもしれない。
それでいいのかと問題提起をする人が出て来ればいいのだが、