今週のお題「試験の思い出」
受験では必ず、「過去問を解け!」とよく言われ、自分もそうだったが、たくさん過去問を解いた。
出題傾向が毎年ガラッと変わることが少ないからこそ、傾向を知る上で確かに重要である。
しかし、自分が受験する年に新設された受験方式だった場合、その手は使えない。
まさに自分がそうだった。
自分は今も昔もグータラで、計画的に何かをすることがとにかく好きではなかった。
勉強もどうやってサボるかを考え、常に嫌々授業に参加するような、消極的な人間である。
テストの勉強なんかやってないと、よくわからない謙遜を真に受けるタイプでもあった。
なので、偏差値では50を超える程度で、平均60なんて夢のようなレベルだった。
高校受験は私立何校かを受けてから公立という感じだった。
その一発目に受けたのが、とある私立高校の推薦入試。
自分の時から5教科と面接という形式で行われ、社会と理科の過去問が全くない状況だった。
偏差値は60ぐらいで、普通に入るのはなかなか大変そうなところだった。
結論から言えば、本人はもちろんのこと、家族も学校の先生も想定外の合格を果たす。
なぜ本人も合格にびっくりしたかと言えば、それは理科での出来事。
理科の問題で、気体を集める方法の問題があった。
上方置換法、下方置換法、水上置換法とある中で、これは上方置換法だと思って書いた。
理科の試験時間が終わる。
縦の列で一番後ろの人が前の人の答案を集めて提出するような形で試験官のところに持っていく。
自分は一番後ろだったので、答案を集める係だった。
集める人の特権として、他の人の解答のチェックができた。
自分ができたかどうかを確かめるにはちょうどいい。
ところが、上方置換法だと思って書いたのに、他の人は全員水上置換法と書いていた。
当時、「あぁこれはやったわ!」とがっかりしてしまった。
その後に面接があったのだが、正直どうでもよくなっていた。
翌日は滑り止めの高校を受けたのだが、今度はスリッパを忘れる。
全てにおいて間抜けだったと今更ながら思う。
ちなみにこの高校も一応合格している。
良くも悪くも自分より偏差値が高い高校に受かってしまったことは自分の人生に色々な影響を与えた。
高校時代、お小遣いアップという理由だけで一番ランクが上のクラスを志望し、ギリギリ入ってしまったのがすべてだった。
分不相応とはこのことで、学力ではクラスのド底辺。
何から何までしんどく、高校に通うのが本当に嫌だった。
その一方で、中学時代の同級生とは一切交流がないが、高校時代の同級生たちとは今も交流がある。
卒業後しばらくして、同窓会のような飲み会などがあって、そこでお酒を飲んで陽気な姿を見せたことで、周囲の人がいい意味でギャップを感じたようだった。
人生はどう転ぶかわからない。
受験の話に戻るが、高校受験があまりにも成功に終わったため、大学受験をなめてしまった。
当時のセンター試験、当日は雪が降っていた。
滑って転ぶなんて縁起でもなく、滑らないようにしっかりと踏みしめて歩く人ばかり。
その中で自分だけが、「うわぁ滑る!滑る!」なんて嬉々と滑りながら歩いていた。
幼少期に北海道・札幌に住んでいたからか、雪にテンションが上がっていたのだ。
結果は全大学を滑るという、馬鹿野郎な結果。
滑る!滑る!と言ったから落ちたのではない。
そんな場面で滑る!滑る!と言えてしまう了見だから落ちたのだ。
勉強もロクにしないで受かるほど大学受験は甘くない。
いや、大学受験に限らず、どの受験にも言える。
受験に対するリスペクトと恐怖は持たないといけない。
そして、これだけ勉強をしたんだから大丈夫!と言えるほどの勉強をこなさないといけない。
これが若い世代に伝えたい、大馬鹿野郎からのメッセージである。