違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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「2024年は電車男誕生20周年」であることに最近気づいた


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2004年3月15日に、2ちゃんねるのスレッドにおいて、「電車の中で酔っ払いに絡まれた女性を助けてお礼を言われた」と書き込まれ、そこから電車男の物語が始まった。

そこからさまざまな展開を見せていき、およそ2か月にわたり、電車男の物語は続いた。

のちに小説となり、映画化・ドラマ化されているが、封印された「電車男」という著書を読むと、実はエルメスと電車男の性交渉の様子も投稿されていたと書かれている。

当時高校生で、本来なら大興奮すべきところだが、典型的な天邪鬼だったせいか、ドン引きした記憶がある。

そもそも当時の2ちゃんねるは「半年ROMれ」と言われるなど、書き込むのにも勇気がいった。

色んなスレッドを見てはいたが、基本的には本当なんだかウソなんだかぐらいの感じで見ていた。

それが小説となり、映画となりドラマとなることに、色んな意味で驚きがあった。

当時純愛ブームがいよいよ終わるかどうかぐらいの時。

2004年に「世界の中心で、愛をさけぶ」、「いま、会いにゆきます」など純愛ものが人気だった。

何をトチ狂ったのか、自分はこの2作品を、映画と小説両方ちゃんと見た。

小説は売れに売れたが、セカチューの方はさほどプロの評判は良くなかった記憶がある。

内容が薄いという評価だったが、確かに作者の他の作品を読むと、薄いと感じる。

高校生の時期だったこともあり、人生で一番本を読んでいて、同じ時期に松本清張の「日本の黒い霧」なども読んでいた。

まぁイキってたのだろう。

あと、深夜番組をしこたま見て、ポータブルDVDプレーヤーで海外の映画を見て、昔の曲をアルバムで借りてきてMDにダウンロードしていた。

高校の3年間がとにかく苦しかったので、あの手この手で気を紛らわせていたのだろう。

そんな中での電車男は、やはりストレートでは受け止めきれなかった。

フジテレビのやることに誰が正面から乗っかるか!と、ひねくれていたような気がする。

なんでセカチューは見れたのかだが、セカチューのラジオCMを聴いてしまい、心に突き刺さってしまったのがすべてである。

いま、会いにゆきますは小説が泣けるという前評判があり、ついつい買ってしまった。

今はその手の小説どころか、コンテンツ自体、一切興味を失ったので、当時の気持ちを少しは思い出したい。

 

とはいえ、イマドキの高校生がTikTokを撮ってる姿に遭遇すると、ついついニヤけてしまうぐらい、微笑ましいと思う気持ちは一応持ち合わせている。

先日、駅の近くでしゃがみこむ女子高生の頭を、彼氏と思わしき男子高生がポンポンと叩いていた。

頭ポンポンか!と通りすがる時に見て、ニヤケが止まらなかった。

てめぇら、そんな顔じゃねぇだろ!と邪悪な気持ちも結構あったが、微笑ましいなぁという気持ちもあった。

この気持ちで当時電車男のスレッドを読むべきだったなぁと反省している。

ひょっとしたら読者もそうだったかもしれない。

20年で自分は本当に汚れてしまったが、ちょうど20年前に一気に下衆になった。

当時ですらエロ本の需要があったかどうか微妙な時に、まぁ色々見ていた。

そのせいで性癖も決まってしまい、ドツボにハマって20年である。

電車男誕生と時を同じくして、自分は下衆な人間になった。

パケホーダイが同じ時期に登場し、動画という動画を漁りに漁った。

中高生の時にフィルターはかけるべきである。

20年後もこんなことしか書けない弱者男性に成り下がっちゃうので、これを読んでる親御さんはぜひとも厳重にフィルターをかけた方がいい。

20年の時の流れは残酷である。


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