24時間テレビを意地でもやろうとする日本テレビに対して、異様に感じる視聴者は多いかもしれない。
しかし、日本テレビのこれまでを見ていると、決して異様ではない。
これが日本テレビの本質であり、今も昔もこんな感じである。
どのメディアも視聴率へのこだわりが強いと思うが、日本テレビはより強い。
視聴率三冠王は今でこそ日本テレビの代名詞となっているが、真っ先に民放で達成したのが1978年のTBSで、その後フジテレビが達成した。
日本テレビは80年代に大苦戦し、冬の時代を迎えた中、クイズプロジェクトなどの企画をどんどん出し、90年代から一気に視聴率を獲得する。
この視聴率獲得に大きく貢献したのが五味一男という人物である。
今でこそ7時54分みたいな中途半端な始まり方が普通となったが、初めて導入したのがマジカル頭脳パワーだった。
視聴率が絶対であり、視聴率のためならどんな手でも使う人物と考えるべきだろう。
五味一男は短期間で結果を出すが、太く短い番組がとにかく多い。
先ほどのマジカル頭脳パワー、クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!、投稿!特ホウ王国など、超人気番組として一世を風靡したはずだが、晩年の悲惨さはあまり語られない。
最初だけ超面白かったが、視聴率ありきで考え、色々動かし過ぎてしまう。
マジカル頭脳パワーは板東英二や所ジョージ、千堂あきほ、俵孝太郎などパネラー同士の掛け合いが面白かったはずなのに、どんどんカットしてしまう。
それが原因で、晩年は板東英二や間寛平以外は初期の人たちが出なくなってしまう。
ダラダラした部分があると視聴者が逃げると視聴率が示しているのだろう。
最近見かける熱唱!ミリオンシンガーという番組も、余韻がほぼない。
なんでこの点数をつけたんですか?!みたいな追求もなく、すんなり流れていく。
今回調べる中で五味一男が企画・総監修をしていると知り、色々納得した。
字幕テロップやCMで引っ張る手法なども五味一男の考え。
それが視聴率をとる最強の手法であり、視聴者はこれに抗えない。
マスゴミと言おうが、テレビをどれだけ批判しようが、ほとんどの視聴者は五味一男に屈している。
五味一男は「サイレントマジョリティー」という言葉を使って、サイレントマジョリティーを意識した番組作りをしている。
今の日本テレビも大きな声で騒ぐ人より、サイレントマジョリティーを重視しているのはそういうことなのだろう。
だから、台風が来ようが、24時間テレビのマラソンをやめようとはしない。
世間の人はそんなことに関心がない。
しかし、始まると、雨の中、ひたむきに走るやす子に、頑張れやす子!と応援する。
あれだけオリンピックに冷ややかでも、始まってしまえば応援する。
どれだけ批判が集まることも、過ぎれば忘れる。
政治の話題より半径数メートルのことの方が一大事。
数兆円の不祥事より数万円のごまかしに激怒する人が多いのも、半径数メートル内の距離感でありそうなことだからだろう。
半径数メートルに数兆円は存在しないが、数万円はある。
目に見えるもの、手に取りやすいものに過剰な反応を示すが、目に見えないものや手に取りにくいものに一切の関心を示さない。
日本テレビはそういうのがわかっているように感じるし、ドライに視聴率を追いかけるとそういうマインドになるのだろう。
ちなみに、現在のお涙頂戴の24時間テレビにしたのも五味一男である。
五味一男という人物を端的に表現したのが伊集院光。
リアルタイムで深夜の馬鹿力を聴いていた際、五味一男に対する痛烈な批判が出てきて、強く共感したのを覚えている。
それを伝え聞いた五味一男は、伊集院光のやりやすい環境をセッティングしてもらっていいので、対談をしようと持ち掛ける。
それだけ絶対の自信があったようだ。
ただ、伊集院光は拒絶した。
その拒絶の理由は、五味一男に限らず、多くの人に当てはまるものだった。
負けないと言い張ったら絶対に負けない。
どれだけ瀕死の重傷を負っても、勝ったと主張できる人なのだとすれば、議論をする気も失せるわけで。
議論をする気も失せさせても、高らかに勝ったと言える人。
そんな相手に勝つとすれば、「しつこく追及し続けられる暇だけど賢い人」ではないか。
最後に。
日本テレビが外圧に屈する時はよほどの時である。
何かをやめるときは視聴率が見込めない、稼げない、そんなところではないか。
24時間テレビはまだ視聴率的に稼げる、金も得られる、そんなところ。
24時間テレビが終わる時は視聴率も金も得られなくなり始めた時。
わかりやすいといえばわかりやすい。
サイレントマジョリティーはまだ24時間テレビを見たがっている。
それをくだらないと吐き捨ててしまうと、加速度的な浮世離れを味わってしまう。
募金をくすねようが、台風が来ようが、24時間テレビは終わらない。
なぜならサイレントマジョリティーは日本海テレビでの募金ネコババ事件の存在を誰も覚えていない。