違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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兵庫県知事斎藤元彦は「鋼のメンタル」というより無敵の人に近いか


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news.yahoo.co.jp

元明石市長の泉房穂は過去のパワハラ発言が原因で、任期満了まであと3ヶ月というタイミングで出直し市長選を行って、当選した。

口が悪いのか、気性難なのか、のちに発言で痛い目を見続けつつ、結果的に4年の任期を全うし、今はタレント的な活動を行いつつ、どこかでチャンスをうかがう時機にある。

橋下徹は大阪都構想の住民投票で敗れた時に辞めた。

粘ろうと思えばいくらでも粘れる中で、スパッと退き、結果として今も発言力はある程度有している。

色んな見方はあるにせよ、改革などのイメージが一定量存在すれば、辞め方さえ間違えなければ必ずチャンスは回ってくる。

兵庫県知事の斎藤元彦も46歳という年齢を考えれば、もっと前に辞めていて、出直し知事選をしていれば、維新もまだ協力してくれたはずなので勝てたはずである。

その後にパワハラ問題が出ても、最新の民意を盾にはねのけられた。

落選しても、維新にとっては貴重な戦力となり、国政選挙に出られたかもしれない。

仮にこれまでの実績に強い自信があるのであれば、出直し知事選に出て信を問うてもよかった。

どれも選ばず、袋叩きに遭い、維新から突き放され、知事のイスにしがみつくイメージを与えてしまい、下手をすれば次のチャンスも回らない状況を選んだのはなぜか。

 

明確に言えることは、斎藤元彦自身がおそらく「僕は悪くないもん!」と本気で思っている点である。

普通、誰かに言い過ぎたという自覚があれば、「あれは言い過ぎだったなぁ…」とか、「つい怒りのあまり…」とか、反省が入る。

それが一切なく、堂々と正当性を主張できるのは、「僕は絶対に悪くないんだもん!正しいんだもん!」という部分が根底にあるからだろう。

得てしてこう思う人は自分が「被害者」のように感じている。

斎藤元彦のどこが被害者なのか!とほとんどの人は不愉快に感じるだろうが、そんなもんである。

これだけの批判でも辞めようとせず、周囲にどれだけ迷惑をかけようとも、維新を巻き込む形になろうとも、知事にしがみつく姿勢につながっていく。

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なんでこれだけのことをして、この人辞めないの?という時は、「僕は悪くないもん!」と強く思い、自らを被害者としている時である。

そう簡単に退かない人がいたら、「あぁ被害者意識100%の人なんだ…」と思った方がいい。

だいたいそういう人は、認知の歪みがえげつなく、偏見にまみれていて、顔つきが情けなく見える。

でも、そんな人は日常にうじゃうじゃいるし、どちらかといえば個性の範疇だと思う。

一方、そういう人間に権力を持たせると、ロクなことにならない。

 

斎藤元彦を「鋼のメンタル」と称する人がいるが、おそらくそうではない。

心の底から悪いと思っていない、むしろ自分は被害者だと思えているから、その信念で矢面に立てているだけである。

鋼のメンタルではなく、ある種「無敵の人」と言える。

自殺者が出ようが、どんなことがあろうが、被害者のマインドになれるのだとすれば、鋼のメンタルよりも無敵の人と称したことが妥当だろう。

普通、自分の言動をきっかけに自殺者が出れば、重い十字架を背負う覚悟が嫌でもチラつく。

一切チラつかないのであれば、それは悪い意味で無敵である。

あと、ハラスメントを普段からする人間の中に、覚悟を持って責任を取ろうとし、すべてを改める人間はまずいない。

やはり根底には、「みんなだってやってたんだもん」、「自分だってそうやって育ったんだもん」などの意識があり、追及されればされるほど、被害者意識を高めていく。

セクハラなどで責任を問われた人間が、セクハラ撲滅を訴える活動をしていたら、相当な激レアさんである。

斎藤元彦を辞職に誘導するのであれば、それはもう不信任決議案を出して、一旦議会の解散となり、出直し県議選を行い、再度不信任決議を行って、失職に追い込み、出直し知事選を行うしかない。

斎藤元彦が仮に復活を期するなら、不信任決議が1回目に出されて可決された時点で辞職した上で、出直し知事選に挑むことだろう。

仮に落ちても、4年間は反省して禊を済ませれば、おそらく次は維新も押しやすくなる。

しかし、そのルートを選ぶのであれば、ハナから辞めているはずだ。

兵庫県民からすれば不愉快だろうし、それこそ被害者なのだが。

もしもこういう人間だとわかって投票して当選させたならまだしも、当時はわからなかったわけで。

 

子供をどれだけ𠮟りつけても、「僕は悪くないもん!」と頑なに謝らず、その態度に激怒して殴る蹴るをしようが、物置に閉じ込めようが、外に放置させようが、その子供は改心しない。

恐怖で改心させたとしても、大人になってから何倍もの仕打ちを食らい、親の側がいい死に方をしなくなる。

改心しない時点で、何か認知の歪みがあって、なぜ認知の歪みがあるのかを分析し、その上で対策を立てないと、お互いに不幸である。

斎藤元彦の生い立ちから検証しないと、何も動かないだろう。

それはジャーナリズムの仕事である。

でも、テレビニュースを見ただけで「コタツ記事」を書くようなマスコミに、おそらくそこまでの胆力はない。

やってることは、ヒステリックに子供をしつけようとするバカな親と同じである。

親は親で、自分を被害者としちゃっているからタチが悪い。

子どもを加害者とし、自分を被害者とする親は害毒でしかない。

そういう構図は親子関係に限らず、至る所で見られる。

斎藤元彦の件も至る所で見られる構図のよくある一例とも言えるが、公職に就く人間として許されるかどうか。

その審判だけは選挙という形で受けていただきたい。


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