1998年11月3日は、横浜ベイスターズが日本一のパレードを横浜市内で行った日であり、当時横浜に住んでいた自分もパレードを見に行った。
1998年というのは神奈川県のプロスポーツチームや大学、高校のスポーツチームが何かと日本一、優勝に縁があった。
この数か月前には横浜高校に行って、優勝報告会を見てきた。
その26年後、横浜DeNAベイスターズと名前が変化し、日本一となった。
暗黒時代は人を疑心暗鬼にさせ、さまざまな負けパターンを見てきたから、9回3アウトまでは一切気を抜けなかった。
普通は5回の時点で勝負アリなのだが、何年横浜の負け試合を見させられてきたか。
平気でここから逆転されるチームだし、今シーズン4点差5点差でも一切安心できなかった。
持論は7点差ついてようやくセーフティリード、それが横浜。
9点差は完全なセーフティリードだが、なにせ日本シリーズ、日本一がかかった試合。
とはいえ、ポストシーズン以降の横浜はまるで90勝以上したようなチームだった。
だから、内心ではこれは勝ったなと思ってはいるのだけど、心の片隅にはまだ「もしかして…」があった。
2017年の日本シリーズ出場組が結果として今回のキーマンにことごとくなり、若手がことごとく成長したのは素晴らしい限りだった。
桑原が侍ジャパンで追加招集となった時に、なんで?と思ったが、追加招集を決断した井端監督以下首脳陣は賞賛されるべきだろう。
戸柱もどちらかといえば、2番手3番手、松尾が来れば弾き飛ばされる可能性が高かった中で、よもやの大活躍、むしろ神がかっていた。
戸柱が活躍したことで山本祐も気合が入るし、松尾も益子も、ケガで離脱した伊藤も危機感が芽生える。
何度も書くが、武山か細山田か、はたまた黒羽根か!そんな時代を通ってきた。
まず戸柱が入った時にこれで終止符が打たれるだろうと思った。
その後伊藤が入り、嶺井は去り、山本祐が不祥事を乗り越えて大活躍し…という中、腐らなかった戸柱が最後に輝いた。
桑原だって別に不動の存在だったわけではない。
勝ち取ったかと言われると微妙で、若手も若手でつかみきれない中、どうにかこうにかといったところがある。
最後の最後で完璧にハマった、それがポストシーズンだったという印象を受ける。
度会や石上が春先存在感を見せていたのが今シーズンの最初で、森敬斗もどちらかといえば後れをとっていた。
ペナントが終わるまで混沌とした雰囲気が漂い、とてもじゃないが、CSで無双するなんて想像もしなかった。
競馬でも「きっかけ1つ」という言葉を使って、少し負けてる馬を過大に評価して穴予想をするが、まさにきっかけ1つでこうなった。
ファーム日本一にもなったが、その年に一軍も日本一になったり、少なくとも2年以内にはペナントを制していた。
だから2026年までには…と心のよりどころにした結果、まさかのダブル日本一だ。
しかし、日本一になった瞬間、色んな人の顔が浮かんだ。
サンデーモーニングで、あの暗黒時代に横浜ファンを公言した浅井信雄氏。
38年間のご無沙汰でしたとニュースステーションのオープニングで語り出した玉置宏氏。
余命幾ばくも無い中で懸命に生き続ける森永卓郎氏。
間に合ってよかったという思い、見せてあげたかったという悔しさ、色んな感情がある。
38年に比べれば26年は短いが、それでも26年。
その間、絶望するようなシーズンを10年ほど見させられた。
希望も何もない中でファンであり続けた人には何かしらの報いがあっていい。
だからこその複雑な思いもある。
ずっと横浜を信じてたよ!とウソをつくつもりは一切ない。
最後に裏切られるのではないかという思いが強かったというのが正しい。
でも、ファイナルステージや日本シリーズを見る限り、そういう考えは捨てていいのかもしれない。
間違いなく今の横浜は昔の横浜ではない。
あとはキャンプを通じて、レベルアップを図ればいい。
課題ははっきりしたが、成功体験を得たし、勝利のメンタリティも持てただろう。
これをがっちり定着させるにはさらなるレベルアップが必要である。
そうすればリーグ優勝は難しくない。
そんなことを横浜に対して言える時代がついに訪れたのだ。