違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


スポンサーリンク

19歳の乃木坂46五百城茉央がスクール水着になった件の是非を考える


スポンサーリンク

natalie.mu

五百城茉央(いおきまお)は乃木坂46では期待されているメンバーの1人だが、写真集でスクール水着を披露している。

このスクール水着がSNSでちょっとした話題となった。

要するにスクール水着をエロの道具として扱ったみたいな話で、19歳にそんなのを着せるとは!みたいな意見もあった。

やりすぎだ!という意見もある。

子どもが着るものを性的消費しやがって!みたいな考えも見られた。

 

ただ最近のスクール水着は、できる限りエロの要素を排除しようとする動きの中にあるので、それこそ五百城茉央が着ているようなスクール水着は今の主流ではないように思う。

体操着=ブルマという発想もかなり古く、最近ではハーフパンツが主流と言える。

子どもが着るのに!みたいな意見を聞いても、ちょっと微妙な気持ちになる。

例えば、世界の果てまでイッテQにおいて、イモトアヤコがスクール水着を着て出てくる機会はそこそこある。

これに一切問題がない理由を述べろと言われた時、エロくないからとでも答えるのだろうか。

 

一時期小学生のアイドルが水着姿になり、DVDを販売するケースが見受けられた。

今同じことをしたら炎上の騒ぎではない。

でも、しばらくはそこまで咎められず、いよいよバレはじめた時にサッと消えた。

さらに昔、子役だった栗山千明が、11歳の時にヌードになった写真集が出版されている。

所持してたら捕まるようなものが売られてたのだから、時代というのは恐ろしい。

それ、大丈夫なの?という意識は年々高まっていくように思う。

五百城茉央のスクール水着に、えっ?いいの?やばくない?と感じるのは決して間違いではない。

いいじゃねぇかそんなもんぐらい!と考える人も、そこまで変かと言われると、まぁ致し方ないのかなと思う。

ポルトガルでスクール水着は大丈夫なのだろうかと自分なら不安になる。

しかも、スクール水着で地元の若者とビーチバレーをやっていたという。

まぁ高校生がビーチバレーをやる時も、「大人に準じたユニフォーム」なので、それはどうなの?と一瞬感じる。

エロに対する世間の警戒心は結構高まっている。

でも、それは悪いことではない。

むしろ今までが許され過ぎていたのだ。

 

そもそもそんなに水着姿を見たいものだろうか。

服を着ててもいくらだって可愛いわけだから、どうにか成立できそうなものだが。

そういう写真集は色んなグラビアアイドルがやってるわけで、そこと張り合う必要は一切ない。

アーティスティックに撮影してもらい、1つの作品として仕上げた方が有益ではないのだろうか。

ちなみに自分はエロが大好きなので、さもエロ嫌い、下ネタ嫌いに思われるのは心外である。

こういうのを擁護すると、高らかと変態宣言をするようなもので、一方的な意見ばかりになるのもそれはそれでいい傾向ではないと感じる。

必ず揺り戻しがあるので、いいじゃねぇか!この野郎とパワープレイされたら、何にもならなくなる。

繊細な対応が求められ、まだ応えてくれる人がいるから成立するだけのこと。

いつかは、うるせぇバーカバーカと無視されて、繊細な人は生きていけない時代を迎える。

その時代がいよいよ訪れるかもしれないというフェーズにありがちな一件と言える。

まだ問題視される時代だが、いずれどうなるか。

大事なのはできる限り記憶して、あの時はこうだったああだったと比較できるようにすること。

そうすれば、まぁあの時代と比べれば…となる。

あまりにも忘れすぎではありませんか?と言いたくなる。

秋葉原のラムタラとか行ったら、えっ?それいいの?えっ?というDVDが2000年代後半にたくさんあった。

今もあるんだろうが、それはグラビアなの?AVなの?みたいなえっ?であり、昔のは、それ犯罪じゃないの?大丈夫?みたいなえっ?である。

無法地帯ではなくなったことにもっと安堵すべきなのだが、あまりにも昔を知らない、もしくは忘れた人ばかり。

全盛期の篠山紀信やアラーキー、加納典明が坂道グループとコラボしたら、たぶん大混乱になっていただろう。

そこまでして水着になってほしいですか?という問いはあっていいかもしれないなというのが、唐突だが今回の結論である。


スポンサーリンク