違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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「岡田紗佳炎上事件」の現状と解説の苦言について強く思うこと


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aroaukun.hatenablog.com

今週が勝負だと思っていたが、一番最悪の流れになっている。

まず岡田紗佳がラスになると、金曜日に出た堀慎吾も内川幸太郎も箱ラスとなった。

こうなると、なんでこうなったんだ!という原因として、例の一件が色濃く際立つ。

そして、金曜日に出てくるはずの伊藤友里が「体調不良」を理由に休んだ点だ。

お子さんを抱え、インフルエンザも流行っている中で、本当に体調不良だったとは思うが、憶測が憶測を呼ぶ展開になりやすい。

なんでもそうだが、問題はやらかした後である。

起きたことはしょうがないが、それをどのように糧にできるかが勝負なのだ。

これを「終わったこと」として流すのであれば、騒動直後に岡田紗佳がトップを取り、涙ながらに画面の向こう側の人に謝罪をしつつ、感謝をすればよかった。

その上で伊藤友里に直接会って謝罪した姿を何かしらの形で見せてようやく「終わったこと」である。

現状は、「まだ終わっていない」と考えるべきだろう。

 

もちろんラスが続くことはどのチームにもあるので、たまたま色々重なっただけという見方はもちろんできる。

しかし、ファンの熱量なしでは成立しないビジネスの中で、「たまたま色々重なっただけ」とは割り切れないものがある。

今はまだ、自分のような雑音めいた意見は単なる雑音、言いがかりとして処理できる人は多い。

しかし、もう1回同じことがあったり、悪い流れが続いたりすると、次第に処理が難しくなる。

ある時、何らかの拍子で、モヤモヤしたものがはっきりと姿を現し、憎しみに変わっていく。

終わっていないとはそういうことで、モヤモヤしたものを一掃する作業をしなければならない。

その作業が「気持ちのいい謝罪」や「何らかの制裁」、もしくは「勝利などの結果」である。

これを尽くせば、「もういいじゃん…言ってやんなよ…」となる。

岡田紗佳ができるとすれば、2月7日金曜日に伊藤友里に直接謝罪をし、その上で1戦目1着、2戦目志願の連闘でデイリーダブル、これだとモヤモヤしたものは晴れるだろう。

やってしまったことはしょうがない!切り替えていこうぜ!とみんな思っているが、力強く言えないだけだ。

力強く言うには勢いと気持ちの良さが欠かせない。

結果で黙らせるか、禊を済ませるか、2つに1つだろう。

今だったら禊を済ませても、芸能界もあんな感じなので、そんなに大事にはならないはずである。

「Mリーグってそんなに重いものなのか…」というブランディングにもなる。

攻めの謝罪・攻めの禊はあっていい。

 

この話とは別にもう1つ気になったことを記したい。

それは、Mリーグの試合の際に解説者が苦言を呈することについて。

1月30日木曜日、土田浩翔が解説だったが、やけに辛口が際立っていた。

今はあんなキャラだが、猛者だらけの時代を第一線で駆け抜けており、麻雀の鋭さはえげつないと自分ですら思う。

だから、辛口になるのは当然であり、少し前にインタビュー記事か何かで、時間を使って切る牌を吟味することに苦言を呈していた記憶がある。

Mリーガーなんだから、これくらいスパッと切ってよねぐらいな感じだろうし、そこに一切の異論はない。

ただ、一切の異論がなく、揺るぎない正論を並べたところで、それが一切害がないとは限らない。

視聴者がそれらの意見を錦の御旗にして、個人攻撃の材料にする。

正しいことを言って何が悪いんだ!というのはそりゃそうだが、攻撃する側はただ攻撃できればいい。

いわば誹謗中傷する人間の攻撃材料に使われており、ダシにされていると言ってもいい。

批判と誹謗中傷は違うと言われるが、誹謗中傷する人間にとっては批判の範疇である。

だから、「誹謗中傷はダメだが批判はいいんだ、だから正しいことを言って何が悪いんだ!」と考えるのは正しいようで、実は無邪気な考えに過ぎない。

以前から麻雀プロに対して、仲間のプロに厳しい指摘をするイメージを持っていたが、これは誰の目にもつかないところなら全く問題ない行為と言える。

ところが、見える場所でやったり、SNSでアピールしたりすれば、誹謗中傷する人間にエサを与える行為でしかない。

批判と誹謗中傷は違うと、これだけアナウンスしても全くなくならず、むしろ増えているのは、どう考えても誹謗中傷なのに、認知の歪みを利用して批判にすり替わっているからだ。

誹謗中傷と指摘されると、烈火のごとく激怒し、言論の自由を主張する。

この構造はずっと変わらない。

そして、こうした構造があることを、認知の歪みを起こしていない人間が正しく認識しなければならない。

麻雀プロはその点、無邪気というか無頓着というか、何か起きてからでは遅いのに…と思う。

しかも、自信満々に苦言を呈するプロほど仲間からの評判がいいというのも、そういう世界なんだなと思う。

 

プロに対して厳しさを出すことは何も悪いことではないし、どんな世界であれそうあるべきだ。

ただ、この時代において、必ずしもその態度がプラスにならないこともある。

「SNSで攻撃にさらされて心が折れるなら、その程度の人間なんだから仕方ない」と心から思っているのであれば、それも信念だろう。

だったら、そういう信念でやっていると言えばいい。

偶然にも知り合いに、そこそこ有名な麻雀プロがいるので、いつかその持論をぶつけてみたい。


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