結論から言えば、正論といえば正論だが、このご時世であまり支持は得られず、むしろ誹謗中傷の呼び水になる可能性がある。
自分は、上沢直之を巡る問題について転売ヤーに置き換えられる話だと思っている。
最近メルカリに米が出品されていて顰蹙を買っているが、メルカリでの米の出品は果たして法律違反なのだろうか。
あからさまな盗品なら別だが、おそらく一発アウトにはならない。
古物商許可など、色々な追及はできるにしても、基本的には法律違反とすぐには言えない。
だとしても、「メルカリで転売するのは法律違反ではない!だから、ごちゃごちゃ言うな!」と有識者が言ったらどうなるだろうか。
とんでもない炎上を見せるのは明白である。
野球選手にサインを何枚も書かせ、それを転売するのだって別に法律違反ではない。
メルカリは「個人に対して不要品売買の場・機会を提供するサービス」であり、その理由があるから古物商許可なしで売買ができる。
どうみたって「営利目的で中古品(古物)の取引」だと思うが、その時はサインが欲しくても突如いらなくなっただけだと強弁されたら何にも反論ができない。
だから、メルカリで堂々と、プレゼントでもらった野球選手の私物やサインなどを売れる。
なぜなら「急にいらなくなった」のだから。
そんなロジックでXにおいて正しさを主張して、賞賛を得られるのだろうか。
上沢直之に関しても、古巣ではなく新天地を選んだ判断は何もルール違反を犯していないから、確かにゴチャゴチャ言われる筋合いはない。
それでも野球ファンから総スカンに近い状況となっているのは、転売ヤーに対するそれと同じである。
岩本勉や上原浩治、選手会と上沢直之を擁護しているが、残念ながら転売ヤーを擁護する側のように見えてしまっているから、あのように非難を食らうのだ。
誰も間違ったことはしていないし、新庄剛志が苦言を呈するのも理解できる。
もう1つ、選手会が見誤っていると思われているのは、誹謗中傷をやめるように再度発信をしたことだ。
これも再三書いていることだが、批判と誹謗中傷の区別を含め、怒りをあらわにする側は意識していない。
要するに、正義感で批判をしているつもりの人が多く、それが誹謗中傷につながっている。
だから、誹謗中傷と言われたところで、「人の貴重な意見、批判を誹謗中傷とは何事か!言論弾圧だ!言論統制だ!」とむしろ正義感に燃えて、より戦おうとする。
恐らく今回の苦言で、上沢直之はより誹謗中傷に晒されかねない状況に追い込まれたと言える。
そういう認識をせずに選手会が発信をしたのであれば、残念としか言いようがない。
選手会側の言ってることは確かにそうだが、転売ヤー側のような扱いを受けている以上、何を言っても仕方ない。
選手会が本当に誹謗中傷の対策に乗り出すのであれば、片っ端から開示請求を行い、裁判を起こして賠償金を得ることだろう。
それでも抑止力にはなりにくいが、ある程度の対価は得られる。
その上で野球振興に使うなり、寄付をするなりすればいい。
横浜の関根大気はシーズン中に開示請求を行い、多くの投稿者との間に示談が成立した。
示談金はこども食堂を支援するNPO法人に寄付されている。
この取り組みを、選手会側が率先して行う中で少しでも選手への誹謗中傷を減らすのがいいように思う。
これが批判、これは誹謗中傷とどれだけ線引きしたって、「俺にとっては正義だ!批判だ!言論の自由だ!」と主張して、あからさまな誹謗中傷を投稿する。
意図的に誹謗中傷をした人、無意識に誹謗中傷をした人はほぼ半々。
その多くはイライラを発散したかったという理由。
意外と、正義感は少ない印象だが、おおむね納得のいく結果と言える。
選手会は、なぜ上沢直之は炎上し、新庄剛志の発言が称賛されているのかを、冷静に分析すべきだろう。
あとはなぜ誹謗中傷が起きるのか、その仕組み・メカニズムを徹底的に調べ上げるべきだ。
そうすれば、選手会からの苦言は出てこないように思う。
残念ながら火に油を注いだ結果となってしまった。
宗教と政治、野球の話はやたらめったらするものではないという時代はおそらく今も続いている。
元々センシティブになりやすく、ゆえに熱狂もしやすい。
熱狂は暴走すればとんでもない事態を招きかねない。
熱狂を覚ましては意味がない。
対策を練るには、分析あるのみである。
仮に分析もしないで、ああいう発表の場を設けたのであれば、いささか不用意だった。
「雑音や批判なんて気にするな!」で締められた持丸監督のコラム。
得てして身内からの擁護は、援護射撃ではなく背後から襲撃するようなもので、プラスにはならない。
かといって、批判することはおそらく書けないだろうし、書いたら書いたで、「あぁ流されたなぁこの人」と個人的には疑いを持ってしまう。
ただただ嵐が過ぎ去るのを待ち、その時の心情をまとめておいて、しばらくしてから発表するのが現実的か。
持丸監督は立派な監督なので、仮に本を出す際、その時にまとめたものがいい読み物へと熟成されるはずだ。
誰も間違ってはいないし、感情的な議論になるのも致し方ない。
だからこそ、泥仕合になりかねない。
その点の認識を当事者全体が持たないと、いずれ大変なことに発展しかねない、それが心配である。