違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


スポンサーリンク

令和の米騒動と平成の米騒動の記憶を辿ってみた


スポンサーリンク

news.livedoor.com

お米は子育て世帯に喜ばれる。

お米券をプレゼントしたら、喜ぶ人は結構いそうではある。

2年前に、たまたま懸賞でお米が当たった際、「どうせだったら必要とする人に…」という理由で、高校時代の同級生たちにお米をプレゼントした。

その時も結構喜ばれ、感謝された記憶がある。

当時はまだ高騰していなかったが、今だったら余計に喜ばれるだろう。

もし今懸賞で当たったらプレゼントするかどうかだが、喜ぶ人がいるなら…とあげそうではある。

 

令和の米騒動といえば、中日ドラゴンズで巻き起こった騒動のことを指していたが、そんなことはどこかへ飛んでいってしまった。

平成の米騒動だと、タイ米を思い出す。

母方の祖父母が農家をしていたため、幸いお米に困ることはなかった記憶がある。

だからタイ米を食べる機会はなかったように思うが、なかなかの騒動だったと記憶する。

当時話題になったのは、城南電機の宮路社長。

今でこそ自由にお米のやり取りは行えるが、当時は法律の縛りがあり、特定のルートを通さないといけなかった。

宮路社長は直接農家と交渉してお米を仕入れて、自分の店で安値で販売した。

当然店はお米を求める客で大混乱となり、行政も当然見逃すわけにはいかず、行政指導を行った。

直接買い付けたといっても、5キロ6000円を超えており、今以上の金額。

それを3000円で売ったのだから、そりゃお客さんも必死だろう。

明らかな大損だが、宮路社長は広告費と捉えた。

その読みは当たった。

宮路社長はここで有名人となり、しばらくテレビに出続けることになる。

当時おじいちゃんの印象を受けたが、米騒動の時でまだ65歳。

Wikipediaで改めて経歴を見る限り、相当な苦労を重ねたんだろうと思う。

人生を駆け抜けるかのごとく、1998年に肺炎を患い、69歳の若さでこの世を去る。

 

宮路社長の記憶は、テレ東で、100万円を元手に芸能人がどれだけ増やせるかを競う番組に出てた記憶である。

宮路社長やカルーセル麻紀、江頭2:50などが出ていた。

何で記憶に残っているかといえば、カルーセル麻紀がカジノか何かで負けて逆ギレしてた記憶や江頭2:50がじゃんけん大会で、勝ったら参加者から金を徴収しようとし、それは法律違反だと言われて方向転換を余儀なくされたシーンが印象に残っているから。

当時小学生の記憶として、スラムダンクなり幽遊白書なりの記憶が残っていてほしいものだが、残念ながら自分の記憶はそこだった。

宮路社長はパチンコが大好きだったということで、社員総出でパチンコをやってたように思う。

結果的に江頭2:50が、今でいう「せどり」的なことをして勝っていた記憶がある。

この時の番組名を知りたいところだ。

浅草橋ヤング洋品店ではなかったと思うが、それはわからない。

ちなみに浅草橋ヤング洋品店の記憶は、江頭グランブルーである。

アニメの記憶ではなく、バラエティの、しかも、テレ東の記憶を残させる両親に感謝である。

やたらと当時からテレ東を見せていて、タモリの音楽は世界だ、決戦!クイズの帝王とかそういうのを見ていた。

決戦!クイズの帝王とか毎週100万円が与えられるという、テレビ東京はもちろん、どこの民放すら今だとできなそうだ。

30年前にできたことが今できない、しかも資金面で。

30年前が異常だったのか、今がおかしいのか、果たしてどちらだろうか。

令和の米騒動でここまで思いが巡ったが、とりあえず、例の番組のタイトルぐらいは知りたい。


スポンサーリンク