違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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「素人はSNSをやるな」──チョコプラ松尾の炎上発言は正しいのか?


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toyokeizai.net

2ちゃんねるが出始めた時、「チラシの裏にでも書いてろ」というワードが流行った。

今回の発言はそれに近いものを感じる。

 

そもそもチョコプラ松尾がなぜこのような発言したのかといえば、アインシュタイン稲田がSNSの乗っ取りをされた挙句、とんでもない誹謗中傷を受けて1年ほど苦しんだ事案に関連してのこと。

稲田のSNSを乗っ取った男が逮捕された時、芸人たちは一斉にSNSにおいて、そのことを取り上げている。

芸人たちの、誹謗中傷をした人間、犯人扱いをした人間に対する憎しみやら怒りやら、嘲笑・冷笑やら、色んなニュアンスを含んだポストが並ぶ。

こうした様子に粗品は自らのYouTubeで苦言を呈していたが、松尾の発言も芸人たちが行ったさまざまなニュアンスを含んだポストとそこまで変わらない。

 

ここ10年以上、上から目線に対する嫌悪感を隠さない人が一定数存在する。

選民意識なんて言葉もネット上でよく見かける。

「自分の方が上」という強い意識を多くの人が持っている。

しかも、被害者ムーブがうまければ金になるくらい、「被害者ポジションが特権」となる時代において、松尾の発言は「ノーコストで被害者になれる最高の材料」である。

 

もう1つ要因があるとすれば、芸人ならではの気質。

そもそも芸人は性格が悪くなければ務まらない職業である。

それこそ素人意見だが、自分は笑い=共感だと思っている。

決して表では言えないが、心の中で思っている邪悪な思いを形にするのがお笑い。

ただ変なことをしたところで笑いになるわけではない。

性格や境遇など、色々ねじ曲がった人がお笑いをやるとうまくいく。

線路に乗っかって順調に人生を歩む人たちに対し、どこかジェラシー、嫉妬を感じているのが芸人だと思う。

松尾がどのような考えなのかはわからない。

ただチョコプラが無限大ホールでランキングバトルに挑んでいた時、さほど結果を出さず辛酸をなめ続けたという話の際、松尾がそこそこ高めの熱量で当時の悔しさを語っていた印象がある。

お客さんに対しても思うところはあったのかもしれない。

 

芸人はどこか斜に構えるところがある。

芸人のラジオで、例えば喜ばしいこと・悲しいこと・スキャンダルなどがあった場合、始まって早々にその話題に触れるケースは少ない。

芸人だって自らのスキャンダルや時事的な話題に需要があることはわかっている。

ただその需要に対して真っすぐ応えようとする芸人は少数派なように感じる。

素直になれないところ、意地になっているところなど、芸人は色々複雑だ。

とにかく明るい安村がこれだけ話題になっても、元相方のくりは頑なにその話題をしない。

くりは今でも十分面白いが、とにかく明るい安村の話題だけは触れようとしない。

あと、こうしてくださいと言われたら絶対にやろうとしない芸人が多いと思う。

こうした芸人の気質を知ってしまうと、あの発言は出るべくして出たというか、いかにも芸人らしい発言のように感じられた。

千原せいじを見ればわかるが、絶対謝った方がいいのに頑なに謝ろうとしない。

それで仕事が干されようが折れようとはしない。

ある種芸人としての性というやつだろう。

それこそ「素人側」にはわからないし、あんまりわかりたくない部分である。

だからこその面白み、旨みなどなどにつながり、人間臭さ・泥臭さを感じられる。

そもそも「芸人がプライベートやらなんやらを色々さらけ出すな」という雰囲気が少し前まではあった。

チョコプラがどうやって今回の件でオチをつけられるか。

本当に面白い芸人は劣勢に立たされた時に切り返すのが非常にうまい。

本当に面白い芸人であることを証明するまたとない機会である。


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