違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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なぜ広末涼子の事故を題材とした件が視聴者の慢心・驕りにつながるのか


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最初に上記記事の引用を行う。

しかし、その背景には「『後夜祭』だから許される」という制作者や視聴者双方の「慢心」「奢り」があったのではないか。「攻めた番組」という評判をどこかの時点で履き違えるようになり、それでもおもしろがられてきた。

制作者が「後夜祭はこれぐらいやらなくちゃね!」という具合に色んなことをやっているのであれば、慢心や驕りと指摘されても仕方ない。

ただ視聴者の慢心・驕りとはどういうことなのだろうか。

例えば、「政治において混迷が続いているのは有権者の慢心・驕り」と言っているようなものだ。

これを大真面目に書こうものなら、ワニワニパニックのワニ以上に叩かれるだろう。

オールスター後夜祭も水曜日のダウンタウンも、鶴瓶上岡パペポTVのキャッチコピーと同じく「見てるあんたも同罪じゃ。」でいいと思う。

ただその気持ちで制作者が作ると、それこそ慢心だの驕りだのと言われる。

でも、バラエティー番組はそんなもんでいいし、もっと言えば、コンテンツ作りはそれくらいがちょうどいい。

視聴者の慢心・驕りがイマイチ理解できない。

健全な視聴者が求めるバラエティーって何?という話である。

世界の衝撃映像のような番組は、健全な視聴者が求めるバラエティーなのだろうか。

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視聴者の慢心・驕りどうこうと書いたのは田辺ユウキだが、この人が書いた別の記事も、正直えっ?と思った。

クイズ・教養系の魅力は視聴者に学びをもたらす点。

そりゃそうだが、クイズ番組を見る人間はみんな純粋ではない。

テレビの向こう側の人間を見下したくて仕方ないやつが結構いることを自覚するべきだ。

その手の人間は、QuizKnockみたいになんでもかんでも答えるやつが不愉快でしょうがない。

やらせだのなんだのと言い始めるし、こんなマニアックなことは知らなくていいと言い出す。

だいたいこういうことを言いだすのは学歴だけはいいおじさんおばさんなので、おじさんおばさんしか見ないオールドメディアのテレビにおいて天下を取るなんてありえないだろう。

「こんな問題もわからないのか!バカだな!コイツは!」という感覚で見てる視聴者は一定数いる。

これならば「視聴者の慢心・驕り」だと指摘されても納得するが、それは大きなお世話。

本当の「視聴者の慢心・驕り」は課金もしないで質の高いコンテンツを見ようとする姿勢ではないか。

そういわれたところで、ほとんどの視聴者はカチンと来るだろう。

 

最後に広末涼子サイドが抗議するのは、そりゃ当然である。

笑いものにされるのは耐えがたいし、もう勘弁してよという気持ちにもなる。

題材にされた広末涼子本人がブチギレて収拾がつかなくなった可能性もある。

それこそ笑われるようなことをしたんだからとクイズの題材にされたことを正当化するのは、制作者側の慢心・驕りとなり得るだろう。

しかし、ここまで書いても視聴者の慢心・驕りが何を意味するのか全くわからない。

BPOに言いつけなかったことが視聴者の慢心・驕りなのだろうか。

エキスパートは目の付け所がシャープである。


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