違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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【エイプリルフール考】なぜ「しょうもない嘘」に辟易するのか?|364日の信頼がなければ「シャレ」は成立しない


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今週のお題「4月1日の思い出」

 

エイプリルフールに対し、露骨に嫌悪感を示す人もいれば、しょうもないウソをついて炎上する企業もあるなど、辟易する動きがある。

すべてはSNS上で個々の思想信条がダダ漏れになり、「これって私だけ?」という名の、「絶対私が多数派だと思う!」という思い上がりが、辟易しているような風潮につながっていると思う。

そういう意味では、日本は文化という文化が、いつも外国任せな印象を受ける。

バレンタインデーもそうだし、ハロウィンもブラックフライデーもそうだ。

日本ならではの独自的な文化が、その一日を席巻するようなケースは少ない。

得てしてバレンタインデーやハロウィンなどに懐疑的な人は、日本ならではの独自的な文化に傾倒しているかというと、そうでもないのだ。

エイプリルフールは「信頼関係」で成立する

エイプリルフールに関して言えば、信頼関係があれば成立するものだと思う。

エイプリルフールすべてがつまらないわけではなく、面白いものもチラホラあった。

圧倒的につまらないと感じるのは、信頼関係が希薄、もしくはゼロの間柄だからだろう。

シャレがきつければ、「ひでぇなぁ」と思わず笑ってしまう可能性もあるが、世間一般はシャレのきつさの味わいなんてわからないし、わかろうとも思わない。

シャレのきつさよりも、この人は信頼できるというのがエイプリルフールにおいては大きい。

それは、普段ウソをつかないという信頼のなせる業だろう。

エイプリルフールは364日の壮大な前フリがあって成立する。

その間に信頼を欠くことがあれば、エイプリルフールは成立しないように思う。

だって、シャレがきつければいいのであれば、すき家がエイプリルフールを考える際、「ねずみ丼始めました」みたいなのを面白いと思わないといけない。

誰1人笑わないだろうし、悪趣味にも程があるだろう。

毎日がエイプリルフール状態の「バカ」

エイプリルフールの思い出はほとんどない。

自分自身が適当なことばかり考えているので、今更エイプリルフールのためだけにウソを考えるのがアホくさいのだ。

毎日日常会話において適当なことしか言わず、ボケているのだから、毎日がエイプリルフール状態である。

それは単なるバカでしかないのだが、それゆえに、特別な一日であるエイプリルフールに興じる必要性を感じないのかもしれない。


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