「社会全体が、全力で新型コロナを無視すると決め込んだ」
日常が戻る喜びの裏で、拭いきれない違和感がある。それは「ブレインフォグ」という後遺症への恐怖、そして「もし自分がそうなったら」というリスクへの想像力だ。
競馬場を愛し、酒を愛するギャンブラーの視点から言えば、病は「運」である。
しかし、その運命を受け入れられるかどうかは、あなたの「覚悟」一つにかかっている。
1. 感染は「運」だが、後悔は「横着」から生まれる
病気になるかならないかは、ギャンブルと同じだ。どれだけ勉強しても負けるときは負けるし、勝つときは勝つ。新型コロナも同様で、どれだけ対策しても「なるときはなる」のが現実だ。
だが、そこに決定的な違いを生むのが「やるべきことをやったか」という一点である。
- 納得のいく負け: 対策を尽くした上での感染なら、それは「運が悪かった」と呪うだけで済む。
- 不本意な負け(横着): やるべきことをサボって感染し、後遺症に苦しむ。これは一生悔やんでも悔やみきれない。
ワクチンやマスクの是非ではない。問われているのは、命やキャリアの危機に直面した際、「わが人生に一片の悔いなし」と言える覚悟があるかどうかだ。
2. ハラスメントと毒舌芸人――「消される人」の共通点
この「覚悟の有無」は、コンプライアンスやハラスメントの問題にもそのままスライドできる。
体罰で職を追われる教師や、失言で消える芸人。彼らに共通するのは、「自分の行為がもたらすリスクへの覚悟」が中途半端だったという点だ。
- 消されない毒舌芸人: 腹を括り、嫌われる覚悟を持って毒を吐く者は、簡単には潰されない。
- 消される人間: 「これくらいなら大丈夫だろう」という横着な認識で毒を吐くから、不測の事態で「不本意だ」と喚くことになる。
不本意な事態を「本意」に変える唯一の手段、それが覚悟を持つことなのだ。
3. 「世知辛さ」の正体は、覚悟なき順応である
世の中を世知辛いと感じる原因は、社会のルールではなく、覚悟もなく無責任に生きようとする「自分自身の横着」にあるのではないか。
「嫌われてもいい」「知るか!」と覚悟を決めてしまえば、ストレスは消え、自由になれる。世知辛さを嘆く人は、実は「覚悟を持ちたくない人」なのだ。
結論:自由になりたければ、まず「覚悟」を決めろ
多くの人は、今の世知辛い状況を打破したいと言いつつ、どこかで順応することに甘んじている。だが、それで本当にいいのか。
なるときはなる。だからこそ、できることはすべてやる。
その上で自然の流れに身を委ねる。この潔いスタンスこそが、今の日本に最も欠けている「違和感の解消法」であるはずだ。