違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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【コロナ禍後の社会論】「マスクは性癖」と思えば許せること|過小評価と過大評価の二極化を避け、正しく恐れるスタンスを問う


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あれだけ新型コロナウイルスの話題で持ち切りだった時期があったのに、今では新型コロナウイルスの話題はスルーされやすい。

さも終わったかのようであり、新型コロナウイルスを完全に無視をして日常を取り戻そうとしている。

もはや日常に戻ったと言えなくもないし、その方が出かけやすいので個人的にはありがたい。

しかしながら、とてもではないが、新型コロナウイルスは終わったと断言するのは無理がある。

新型コロナウイルスに関していつも思うのは、もう少し中間はないのかということだ。

新型コロナウイルスを徹底的に過小評価するか、もしくは徹底的に過大評価するかのいずれかの人がSNSにいる。

自分を卑下し過ぎる人、自分を過度に評価する人は正直どちらも愚か者である。

自分という人間が全く見えていないという点で愚か者だ。

新型コロナウイルスはまだまだ進化を遂げており、どのように転ぶかはいまだにわからない。

どのように転じるかわからないものに、過小評価することも過大評価することも、正しく恐れるという点では間違ったスタンスである。

家族がついにコロナになったのだが、咳や痰などの後遺症がまだあり、漢方での治療を継続している。

家族がブレインフォグにならなくてよかったと心底思うが、後遺症のせいで働けなくなった人は結構いるようだ。

「マスクは性癖」と思えば寛容になれる

新型コロナウイルスはまだ終わっていないし、どう転ぶかわからないというのが淡々と事実を見た時に感じることだ。

あとは、悔やんでも悔やみきれないことにならないよう、個々が生活を送ればそれでいいのではないか。

自分はマスクをして外に出ているが、「こういう性癖なんですいません」と言えばいいと思う。

あなたはマスクをしないというフェチであり、私はマスクをするというフェチだということ。

あなたはおっぱいが好きで、私はお尻が好き、うなじが好き、みたいなことでいいように思う。

マスクをしようがしまいが、ワクチンをしようがしまいが、そんなもんは大きなお世話である。

どんな性癖を持とうと、別にいいわけだから。

マスクもせず、ワクチンも打たず、それでも感染しても構わないと覚悟しているのならば、その考えは尊重されるべきだろう。

でも、どれだけの人がその覚悟でマスクを外しているかはわからない。

もしかすると、覚悟どうこうの時点でそんな大層なことかと思われるかもしれない。

とはいえ、そういう性癖なんだなと思えれば、結構なことが許せるようになる。


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