選挙に対して一層の嫌悪感を抱く人が増えるのは間違いないが、選挙そのものを腐して悦に浸っていれば、より酷い状況を生み出す。
「国民が政治を嘲笑しているあいだは嘲笑い値する政治しか行なわれない」
「民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しかもちえない」
こうした松下幸之助氏の警句が示す通り、ああいう状況になっているのは、選挙に対する無関心や面白おかしく扱ってきたツケである。
2016年でもカオスだったが、2024年はよりカオスになっている。
今まで放置してきたバグが深刻な問題を生み出したと言える。
供託金引き上げはカオス枠を際立たせるだけ
供託金を1,000万円にすれば解決する問題なのかというと、そうではないと思う。
今がカオスすぎて、ちょっとやそっとのカオスでは話題にならない。
仮に1,000万円の供託金にすれば、出馬する人は減るだろうが、カオス枠は絞られる。
すると、カオス枠が目立ち始め、それこそ1,000万円以上の効果をもたらすかもしれない。
供託金を上げることが必ずしも正常な状態を生み出すとは思えない。
かといって、ギチギチに自由を縛り上げるようなことをしても、今度は恣意的な運用で何かしらの問題が起きる。
さすがに、公序良俗に反するようなポスターへの警告は妥当と言える。
選挙=治外法権みたいな認識だから、春先の補選の騒動につながったわけだ。
普段なら、ほぼ全裸のポスターを町中に貼り付けたら一発アウトだろう。
だが、警告程度では、目立つために数百万円を出している当該候補者はそのまま突っ走る。
逮捕されれば箔もつく、ぐらいに思っているはずである。
ある種無敵の人だから、ちょっとやそっとでは引かないだろう。
選挙を「面白がる」という選択肢
個人的には、選挙そのものを腐したり、選挙を快・不快で扱ったりするのは長い目で見てマイナスだと思っている。
別に、政策論争をやるべきだ!とも、普段から政治に関心を持て!とも言う気にならない。
選挙はお祭りである以上、これはもう楽しむしかない。
特定の候補者だけを褒めたり、特定の候補者のみを腐したりする必要はない。
政治と宗教、野球の話はとかく避けたがるが、特定の政党などを持ち上げたり下げたり、勧誘したりしなければいいのだ。
自分もはっきりと政党の好みなどはあるが、こうした場に書く時はできる限りフラットに、どちらかといえばドライに、努めて中立に書いている。
これは友人や家族と会話する時もそうだ。
だからか、自分の周りには自分と同じ意見の人がほぼいない。
自分が泡沫候補になった気分だが、その方が見誤らずに済むし、客観的になれる。
今回の件も、個人的には面白がればいいように思う。
松下幸之助氏の考えからすればいけないのかもしれないが、嫌悪感を抱けば抱くほど、より酷くなるだろう。
「おいおい今回はマジメなのが揃ったぞ!」とか、「単勝1.0倍過ぎてつまんねぇな」とか、そういう楽しみ方もいいのではないか。
政治不信になりたがって嫌悪感を自ら抱こうとする人があまりにも多すぎるのではないか。
カオス枠の人に、「あいつスベってるな!」とか言っていけばいい。
マジメに考えろ!とお叱りを受けるかもしれないが、そういうところから始めるしかない段階にいる。
スピーカーで大音量で候補者の名前を連呼するのはただの迷惑行為。
そういう認識が広まっている以上、今までの常識は捨てなければならない。