違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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「オカズにされたくない」グラドルの本音:性的消費と表現者としての評価の間のジレンマ


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ふとXのタイムラインを見ると、あるグラビアアイドルが同業のグラドルの言葉として、「オカズにされたくない」と言っていて向いてなさそうと思ったことを書いていた。

自分の水着姿を見て自慰行為をしてくれてるわけだから、グラドルとしての価値は十分あると言える。

売れているグラドルもオカズにされていることに、直接的な表現こそ使わないが、感謝の言葉を示すことが多い。

売れているグラドルで、「きもいな!」みたいなことを言う人はあまりいない。

まあわざわざ宣言するなよという意味での「きもいな!」ならよくわかるが。

チラホラと目につくのは、本人に言うなよという意見で、それ自体は理解のできる意見である。

「オカズにされたくない」矛盾の根源

ただ、そもそもなんでグラドルを目指すのかという話である。

水着姿になった時点で、確実に誰かのオカズにはされる。

それが10代20代なら余計である。

「オカズにされたくないけどグラドルをやる」というのは結構無理筋な印象を受ける。

例えば、露出多めの服を着るパリコレモデルがいたとして、オカズにされたくないと思うのは当然である。

なぜならそういうつもりでモデルになったわけではないからだ。

女子高生、中学生を始め、何かしらの制服を着用する女性が、オカズ報告にブチギレるのも当然だ。

ただただ気持ち悪く、報告するやつの神経がわからない。

ビーチバレーや陸上選手、競泳選手などのアスリートを性的な対象とし、宣言してしまう人に対して「気持ち悪い」と暴言を吐いても納得する。

一方、グラビアアイドルとセクシー女優は、むしろオカズになってもらうことがメインである。

だからといって「オカズにしてます!」と宣言する人を受け入れろなんて暴言を言うつもりはない。

何のためにグラドルになったのかという話だ。

芸能界で手っ取り早く売れるために脱ぐ人もいるが、オカズ要素を一切排して女優の仕事を全うできるのだろうか。

オカズにしてほしくないと思っているグラドルは、自分のグラビアに鼻の下を伸ばす男も嫌なのだろうか。

AIが示す「表現者」としての評価への渇望

オカズにはしてほしくないが水着にはなるという場合、そのグラドルになってどういう反応が正解なのだろうか。

さすがに自分の想像力では思いつかないので、AIに問うてみた。

AI曰く「性的消費の対象」だけで見られるのが嫌なのだという。

ポージングなどの芸術性や表現力、世界観を評価してほしいとのこと。

またプロポーションの美しさから努力を評価してほしいという観点、水着のデザインが個性を引き立てている、健康的な魅力にあふれているなどさまざまだ。

「いやぁ~このポージング!美しい!きっと相当な努力をしたんでしょう!そして水着のデザインも素晴らしい!」とか言えばいいのだろうか。

気持ち悪く思われないだろうか。

要はオカズではなく表現者として評価してほしい、人間として尊重してほしいということのようだ。

「いやぁ~このポージング!美しい!きっと相当な努力をしたんでしょう!そして水着のデザインも素晴らしい!」という言葉を最大の誉め言葉と捉えるグラドルが仮にいるのであれば、名乗り出てほしい。

そういう人はパリコレモデルみたいな人になった方がいいと思う。

AIもそういうことにちゃんと答えてくれる時代になった。


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