違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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「無理」と「意味」の境界線:健康とライフスタイルを変えたラテン的な諦観


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人生で最も健康ではないと感じていたのは、学生時代に献血を行った際など、血液検査の結果で中性脂肪などの数値が相当悪かったのを覚えているからである。

一時期は中性脂肪の数値を落とすために薬を検討するほどであった。

もちろん、そんな状態が続けば身体も悲鳴をあげてしまうわけだが。

今では中性脂肪やコレステロールなど、その数値もおかげさまで正常値になった。

中性脂肪などを下げる薬は飲んでいないので、これは自力で下げた結果である。

観光地での「苦痛でない」糖質制限生活

そうなると食生活はどうなるかと言えば、自然と糖質を遠ざけるようになる。

仙台での食事は、名産物を全く食べず、すき家などで糖質オフのものを食べた。

これを聞くと、可哀想と思われるかもしれないが、個人的には全くそう思わない。

元々名産品をどうしても食べたい人でもなければ、観光が好きな人でもないからだ。

仙台へはライブがあるから来たに過ぎないのだ。

以前に仙台を訪れた時もそんな感じだったし、昔から松屋などで済ませてしまう。

本当は焼肉ライクで済まそうとしたが、時間の関係ですき家になった。

甘いものも食べなくなったし、関心もそんなにないので、ずんだ餅へのこだわりもない。

一時が万事そんな具合なので、制限は全然苦痛ではない。

医者に言われるのは、「本当に無理はしていないですか」ということだ。

2か月おきに訪れるたびに痩せているので、そう思うのかもしれない。

でも、寝酒に対してこのままでいいだろうかと思っていたし、食事などもそうだった。

だから、寝酒なしの生活や糖質まみれの食事から切り替えたのも、個人的には全く辛くない。

「無理」をしないための意味づけと覚悟

といっても、ストイックに糖質オフはしていない。

血糖値が上がらないようにキャベツの千切りやサラダチキンを食べて、パスタを食べるようなものである。

自分でコントロールできる食事はそうしている。

一方で、他人とご飯を食べるときは自然に身をゆだねる。

だから、ラーメンに行くとなればラーメンに行くし、寿司を食べに行くとなれば寿司を食べに行く。

自分でコントロールができるとすれば、カロリミットや難消化性デキシトリンを飲む、食後にいつも以上に歩くなどである。

家族にも友人にも糖尿病のことは話していない。

激ヤセに関しては、いびきを防ぐには痩せた方がいいらしいと伝え、実際に効果を実感してもらうことで納得してもらっている。

いびきは本当にかかなくなったので、高速バスに乗ることに関しても不安がなかった。

無理をしないためには、やることに意味を持たせることだろう。

無理をしているのは、やることに意味がないと思っているからだ。

きついと思っている人は、心のどこかで意味がないと思っている。

意味がないのなら放棄して何もしなくていいと自分は思う。

その代わり、寿命を減らしても納得できるのであれば、自分はまだ死ねないと思ったので、やっているに過ぎない。

かといって、80歳90歳と生きたいとも思わないが、その時にどうなっているかはその時に考えればいい。

ラミレス監督の言葉が示すラテン的な思考

「Nothing we can do」、ラミレス監督はいい言葉をたくさん言ってくれる。

今の時代だからこそ、割り切りや諦観の念を込めたラテン的な考え方が、心を楽にしてくれると自分は思う。


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