元々皮膚が強い方ではなく、丁寧に拭き過ぎると血がつくことはあった。だが、先日経験した「それ」は、今までとは明らかに次元が違っていた。
初めての痔がもたらした、静かなる絶望
用を足し、ウォシュレットを当てた瞬間に走る痛み。拭き始めたら、これまでにない多めの出血。今まではすぐに収まったはずの赤が、なかなか止まらない。急いで調べると、想定される「痔」のバリエーションの多さに、一気にブルーな気持ちになった。
その直後、チューリップ賞で万馬券をゲットしたのが不幸中の幸いだった。これを「痔へのお見舞金」と思い込むことで、どうにか気を持たせることができたが、お風呂で血に汚れた下着や、便器に滴る鮮血を見た時のショックは、そう簡単に拭い去れるものではなかった。
現在は使い捨てのビニール手袋を使い、市販薬を塗ることで症状は改善に向かっている。おそらく軽度の切れ痔なのだろう、座るのがきついレベルではないのが救いだ。だが、肉体的な痛み以上に私を蝕んだのは、精神的なダメージだった。
「用を足すのが怖い」というQOLの低下
痔になって痛感したのは、用を足すのが怖くなると、生活の質(QOL)が劇的に落ちるという事実だ。排泄を避けたいがために、無意識に飲食を控えてしまう。「出す」という生命活動に恐怖が介在するだけで、毎日のリズムはこうも狂うのか。
ふと、自然災害でトイレが使えず、飲み食いを控えざるを得ない被災地の方々の苦しみが頭をよぎった。私の痛みやショックと比較するのはあまりに失礼な話だが、トイレという根源的な問題が解決されないことのメンタルへの影響は、今回わずかながら理解できた気がする。
何も考えず、痛みも恐れもなく、ただ用を足せることがどれほどありがたいことなのか。万馬券の喜びよりも、平穏な体調こそが真の富であると、今は切実に思っている。