違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


スポンサーリンク

マウントを取る人が「登る山」は丘である | 上から目線にこだわる人が気づかない「人生のコスパ」


スポンサーリンク

誰でも登れる「丘」でドヤ顔する人たち

自分自身、人の上に立つとか、マウントを取りたいとかいう気持ちがほとんどない。

「お好きにどうぞ」というスタンスでいるため、よくマウントを取られる立場にある。

しかし、こんな人間のマウントを取ろうとする時点で、その程度が知れていると判断できる。

誰でも登れる山、もはや「丘」とでもいうべき場所に登り、「登山に成功したぞ!」とドヤ顔をされたら、誰しも変人に思うだろう。

マウントを取るというのは、詰まるところ、そんなものなのだ。

いちいちちょっとした丘に登るたびに、「登山に成功したぞ!」とアピールするのは、精神的に疲れるし、リスクがある。

家族は心配するだろうし、同僚にそんな人がいれば遠ざけたくなるはずだ。

何かしらの得やメリットがあるならば自分もやろうかと思うが、コスパも悪く、得がない。

そんなものにリソースを割く余裕もなければ、そもそも興味関心もない。

だからこそ、マウントを取るだけの余裕が有り余っているのだろうと感じる。

「上から目線」を気にする人の病理

「上から目線だ」という指摘に対しても、同じことを思う。

結局「上から目線どうこう」を過剰に気にする人は、自分自身が相手を見下しているからこそ、そう感じるのだ。

「虫ケラごときが、我のようなスーパー貴族に盾突くな!刃向かうな!」と言いたいのだろう。

相手を見下している人間は、意見されると「盾突く」「刃向かう」「突っかかる」などのフレーズを使う傾向にある。

「俺の方が人生のステージが上で、お前のような虫ケラは最下層も最下層、だからしゃしゃり出るな」という態度・考えを持つからこそ、「上から目線」を気にするようになるのだ。

では、そんな彼らがどんな大層な人間なのかといえば、総じてしょうもない人間が多い。

自分自身でステータスを高めれば、勝手に上に上がるのだから、「上から目線」なんぞ気にならなくなるはずである。

結局、自力で上に上がる気がないからこそ、上から目線を気にするようになる。

上から目線を気にする時点で、何かしらの病に取りつかれていると言っても過言ではない。

マウント行為は百害あって一利なし

他人を見下す気持ちは、自分自身が大したステージに立てていないことを自覚しているからこそ芽生える感情である。

そう考えると、マウントを取る、上から目線を気にする、他人を見下すという行為は、百害あって一利なしと言える。

その態度で得られるものなど、一つもないのだ。

むしろ得られるものがあるのならばぜひとも知りたい。

コスパよく得られるのであれば、私もぜひとも取り入れてみたいものだ。


スポンサーリンク