「なぜNHKは報じないのか!」
その叫びが、誰にも届かず嘲笑される理由
正論は、時に「面倒くさいアピール」に成り下がる。
ロシア情勢への危機感も、メディアへの義憤も、日常に追われる一般人にとっては「ノイズ」に過ぎない。
2023年6月、ロシアのクーデター未遂。「もっと大きく扱うべきだ」という声がネットに溢れた。その気持ちは理解できるが、世間一般の反応は冷ややかだ。「面倒くさいね」――。そう思われて、対話の扉は閉ざされる。
一般人にとってニュースとは、世間話のネタや情報収集に過ぎない。自らの趣味や生活に直結しない「遠い国の正義」を突きつけられれば、返ってくるのは敬意ではなく、「賢いアピールですか、すごいですね」という侮蔑混じりの失笑である。
1. 視聴率というリアリズムと不倫ネタ
日々、子育てや仕事に追われ、ニュースを見る時間すら惜しい親たちに、「ロシアの情勢を考えろ」と迫るのは酷である。もし彼らを「レベルが低い」と切り捨てるなら、その主張は永遠に誰にも届かない。
メディアは慈善事業ではない。視聴率ありきの世界だ。広末涼子のドロドロ不倫ネタが擦られ続けるのは、それが単純に「話のネタになるから」に他ならない。ロシアのクーデターよりも、近所の不倫の方が彼らにとっては切実な「リアリティ」なのだ。
2. 「同意だけしてくれ」という会話の真理
世間一般の会話に「真実」や「本質」などは必要ない。求められているのは同意と共感である。
これが日常会話の本音だ。逮捕のニュースには群がるが、無罪の事実は無視される。東国原英夫の過去の真相を力説しても、「マニアックなやつだ」と一蹴される。視聴者もメディアも、真実よりも「食べて美味しいネタ」を求めている。
3. 「なぜ報じない!」はただのエゴである
「目覚めた」人々が叫ぶ義憤は、結局のところ個人のエゴでしかない。維新の会が支持されるのは、検証が正しいからではなく「言っていることが気持ちいいから」だ。
家族のこと、日々の生活のことだけで満足な人々に対して、説教は何の効力も持たない。何を一大事とするかは個人の自由だ。少数派の中の多数派を形成し、そこで満足している商売人たちと、正しさを叫んで孤立する人々。その構図はあまりに空虚である。