今ではプロ野球においてあからさまな乱闘を見なくなった。
一時期は殴り合いの乱闘がしょっちゅうあり、それが見世物になっていたが、いつの間にか「乱闘文化」はプロ野球から消えた。
子どもの教育に良くないというロジックは嫌いであり、家の中で感情的になる親や口の悪い親の方が教育に良くないだろうと思っていた。
しかし、元格闘家の田中雄士の乱闘文化に対する警鐘は納得できた。
田中雄士が語る乱闘の「戦争」論理
田中雄士の主張は、乱闘がケンカのハードルを下げるという点にある。
そして、本当のケンカはこんなものではないという。
乱闘をするにも大義名分と正義があり、本来簡単には起きないというロジックだ。
止めてくれる人がいるから暴れてもいいという行為は卑怯と言い切る。
乱闘は戦争、そう捉えると、確かにパフォーマンス的に乱闘を行うのは非常に危険である。
そういうロジックであれば、教育に良くないというのは大変理解できる。
痛い目に何度も遭い、色々な経験をしたからこそ言える言葉であろう。
「特権」化する乱闘とエンタメの限界
近年、芸人がお客さんを素人呼ばわりして炎上するケースが目立ち始めた。
「特権ハラスメント」ではないかとも思うが、なんでもかんでも特権として目くじらを立てる時代が今後より加速すると考えられる。
だとするならば、野球やブレイキングダウンの乱闘も特権扱いされる可能性があるのだ。
野球の場合、デッドボールを契機に乱闘が始まることが多い。
外国人野手が日本人投手をぶん殴り、乱闘に発展するのは昔はよくあった光景だ。
これを道端でやると、警察に通報されて現行犯逮捕されてしまう。
格闘技の試合に限れば、ルール上許されていれば殴ろうが蹴ろうが問題はない。
しかし、格闘技でも、計量時の会見とか対戦カード発表の会見とかで乱闘をするのは試合から外れた場でのことなので、エンタメとして認めていくと、特権扱いされる可能性が出てくる。
「特権」意識がもたらす文化の衰退
一度特権扱いをされると、何の関係もないちょっとした不祥事ですら色眼鏡で見られ、少しでも軽い処罰となれば、「特権があるからかあ」と思われてしまう。
「特権」に対して神経過敏になっている状況であることを、それぞれが理解しないと、予期せぬところで致命傷を負い、特定の文化が廃れていく可能性まである。
男性特権はどうこう言われているが、いずれ女性特権と言われ出す可能性もあるだろう。
仮にそうなったら地獄である。
地獄を見る前に、一旦そもそも特権とは何かを思い出し、これこそが特権という事例を冷静に洗い出すのが賢明な行動と言える。