違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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【落語家論】ガーシー転向宣言への「総スカン」はなぜ愚策か?|修行文化とプロの矜持、泰然自若たるべき理由


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ガーシーの落語家転向宣言は、プロの落語家から総スカン、ほぼ全員の落語家が嫌悪感を示しているという。

なぜかといえば、プロになるには、前座修行を経ないといけないので、「それをしないでいきなりプロってどうなのよ!」というのがあるのだろう。

例えば寿司屋でも、何年か修行した上で独立して寿司屋を出すケースがほとんどだが、何も修行しないで寿司屋を出して人気になられたら、修行した側はバカバカしさがある。

個人的には、国が修行文化を庇護するならお好きにどうぞで、修行の有無はどうでもいいと思う。

それは落語家だろうが寿司屋だろうが関係ない。

泰然自若として格の違いを見せつければいい

あと、いくら話術がうまいからと言って、いきなり落語家としてお客さんを集め続けるのは至難の業だと思っている。

落語家のお客さんは一癖も二癖もある。

「俺って話面白いでしょ!練習してるのわかるでしょ!」みたいな雰囲気を出したら、毛嫌いしそうな印象がある。

だから、プロの落語家は堂々とガーシーを受け止め、格の違いを見せればいいだけである。

泰然自若とし、粛々と高座をこなしていれば、客もすぐにわかるはずだ。

ガーシーに関しては、今までの話を聞く分には気働きの部分は問題なさそうなので、仮に前座修行をしても耐えられそうではある。

ただ、創作落語なら簡単にできるとは全く思わないし、そのようにガーシーに言ったのなら、随分調子のいい落語家だと思う。

変にガーシーの挑戦をプロの落語家が否定すると、箕輪厚介をはじめとする人たちが落語家に対するバッシングを始めかねない。

そうなると、損をするのは落語家の方で、笑いなしでやり合えば落語家自身が損をする。

「どうぞどうぞご自由に!一緒に落語会やりましょう!二人会セッティングするんで女の子アテンドしてくれませんか?!」ぐらいのスタンスの方がいい。

そして、プロとして歴然とした差を見せつければ、自然とわかってもらえるはずである。

何を落語家側がガーシーを怖がることがあるのか。

今までやってきたことを見せつければ、解決する話なのではないだろうか。


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