違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


スポンサーリンク

『シン・新幹線大爆破』への期待と一抹の不安。1975年版の「狂気」とJR全面協力の「計算」を解剖する


スポンサーリンク

1975年版の『新幹線大爆破』を観たことがある。

当時の国鉄から一切の協力を得られず、当時の技術でリアリティを最大限に再現しようとした結果、あの見応えのある傑作が生まれた。それは『日本沈没』も同様だ。CGなど存在しない時代の泥臭い演出があったからこそ、あの圧倒的な「恐怖」と「重み」が成立していたのである。

正直なところ、現代のCGに頼りすぎる演出には疑問がある。その最たる例が、2006年にリメイクされた『日本沈没』だ。私は普段、自分の金で映画を観る習慣がほぼない人間だが、オリジナルへの敬意から小説を読み込み、わざわざ劇場へ足を運んだ。だが、結果は「アメリカには遠く及ばない」という、心底ガッカリした印象しか残らなかった。

あの当時の、急速な復興を遂げ先進国へ駆け上がろうとする日本を丸ごと沈没させるという「狂気」。小松左京が1964年の時点でその構想を執筆していたという事実は、驚異というほかない。今のリメイク版やドラマ版には、その根底にあるはずの狂気が薄れているように見えてならないのだ。

そんな中、発表された『シン・新幹線大爆破』。主演・草彅剛、監督・樋口真嗣。

この二人は、あの2006年版『日本沈没』のコンビでもある。ある意味での「リベンジ戦」と言えるだろう。樋口監督はその後、『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』で揺るぎないキャリアを築き上げた。技術的な破綻はないはずだ。主演の草彅剛も、演技に不安を感じる役者ではない。

問題は、1975年版が持っていたあの「重厚感」をどう超えるかだ。高倉健、千葉真一、宇津井健。特別出演に丹波哲郎や北大路欣也。今回のキャストも素晴らしい役者は揃っているが、あの重すぎるメンツと比較するのは流石に酷というものか。せめて関根勤氏が……とも思うが、それでは急にコントが始まってしまうリスクもある。

決定的な違いは、JR東日本が東北新幹線の貸切列車を7往復もさせるなど、全面協力をしている点だ。国鉄に拒絶された過去作とは対極にある。このコンプライアンスの時代、JRが協力している以上、救いのないバッドエンドは期待できないだろう。

2006年版の『日本沈没』よりは上回るだろうが、果たして1975年版のような「社会に衝撃を与えるインパクト」を残せるのか。JRという大資本が協力する「整った」環境で、どれだけ当時の狂気に肉薄できるか。

普段は映画に見向きもしない私だが、今回ばかりは、その「答え合わせ」をこの目で見たいと思っている。


スポンサーリンク