違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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【誹謗中傷の病理】本質は「ボクがそう思ったんだもん!」という幼稚性|飲酒運転に学ぶ、厳罰化と「過払い金ビジネス」化の必要性


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最近は誹謗中傷に関する記事が異様に多いが、それだけ言いやすい状況になってきたと言える。

とはいえ、「賠償額を高める」、「過払い金請求レベルの盛り上がりを見せる」、「確実に賠償金を回収する」などの整備をしないと何の意味もない。

そして、実際に裁判に踏み切った人の話を聞くと、加害者の人物像があまり変わらないのも面白いところである。

繰り返すが、誹謗中傷は、「このボクがそう思っちゃったんだもん!」でしかない。

リスペクトを!とか、プロとはいえ人間です!とかどれだけ言っても、相手からすれば、「ボクが思ったこと」に過ぎない。

「ボクが思ったことを踏みにじるの?どこにそんな権利があるの?」ぐらいなものである。

あと、「ボクはそんなこと言われても傷つかないけどな!キミが弱虫だから、たかがそんなことで傷つくんじゃないの?バーカ!バーカ!」という感覚もあるように思う。

幼稚な人間が自分を基準に幼稚な振る舞いを行う、それが誹謗中傷の本質である。

だから、第三者に誹謗中傷と判断されると、正当化の理由を並び立て、心底被害者ぶった顔をして少しだけお金を出し、逃げようとする。

「大人の保育園」で機能しない道徳論

多くの人・組織が誹謗中傷を行う者の人物像などを見誤っている。

だから、いつまでたっても効果的な対策が出てこない。

「こいつを言葉の暴力で傷つけてやろう!」と覚悟を決めて突撃するケースは意外とないように思う。

時折配信で、その人のタブーに執拗に触れてこようとする人がいるが、この人は単に聞きたいだけで、覚悟があるようには見えない。

配信はある種「大人の保育園」みたいな感じで、配信者は保育士である。

これを商売にするのは疲れるし、配信者に病んでる人が多いのもある種納得というか、共依存するような状態でないと続かない部分がある。

心のどこかで、「人間の心根は矯正できない」と思う人が多いと感じるが、誹謗中傷を行う人間の心根すら変えられない時点で、法治国家として大丈夫だろうかと思う。

矯正ができないとすれば、その人間は何度も同じことを繰り返し、いずれは人を死なせてしまうかもしれない。

人が亡くなり、裁判で争う場面で、「このボクがそう思っちゃったんだもん!」と言われたら地獄である。

当然そうは言わないが、そう思える人だから誹謗中傷を行うのだ。

批判と誹謗中傷の境界線とか、そんなことは些末なことだ。

「このボクがそう思っちゃったんだもん!」という人からしたら、すべてが真っ当な批判である。

「それって誹謗中傷です」と指摘しても、自分を全否定されたかのような被害者意識丸出しで反抗してくるだけである。

飲酒運転に学ぶ「金銭的制裁」の有効性

飲酒運転も厳罰化によって社会的な制裁を強化し、飲酒運転を少しずつ減らしてきた。

もちろん今も飲酒運転はなくならないが、その効果は確実に出ている。

誹謗中傷も同じ運命を辿るように思う。

高額の賠償金を可能とし、過払い金請求と同じやり方で弁護士事務所がボロ儲けできる時代になれば、おのずと幼稚な人間も気づくはずである。

危ない目に遭わないと子供はなかなか危険を認識してくれない。

親が烈火のごとく叱り飛ばしてようやく子供は事の重大さに気づく。

その環境を作らない事には、誹謗中傷は減らない。

「批判と誹謗中傷の境界線」とか、「節度ある振る舞いを…」とかで解決するわけがないのだ。


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