大阪市・ATCシーサイドテラスにある「南港ストリートピアノ」の公式SNSが、大きな議論を呼んでいる。
「練習は家でしてください」「手前よがりな演奏は『苦音』です」。SNSに記されたこれらの言葉が、ミュージシャンや一般ユーザーの間で大問題となったのだ。
このピアノはフードコート内に設置されており、周囲には海鮮丼やラーメン、カフェなど多様な店が並ぶ。食事を楽しむ客からすれば、「ネコふんじゃった」を延々と聞かされる状況に「うっとうしい」と感じる者がいても不思議ではない。恐らく、運営側にはそれ相応の苦情が届いていたのだろう。
正直なところ、この発信自体がそこまで悪だとは思わない。だが、海外の駅ピアノなどの光景を見る限り、そこには決定的な「文化の違い」があると感じざるを得ない。
海外では日常と音楽の距離が近く、誰もがそれを素養として受け入れる土壌がある。対して日本のストリートピアノの歴史は、2011年の鹿児島から始まったばかりの、まだ浅い文化なのだ。
かつて兵庫県加古川市に設置されたピアノが、酒気帯び演奏やマナー違反によってわずか半年で撤去された事例もある。日本において「音楽の練習」とは、どこか「子供のやること」という印象が強いのではないか。近所から聞こえるリコーダーの音を、微笑ましいと思うか、騒音と思うか。残念ながら、日本では後者の声が無視できないほど大きいのが現実だ。
音楽に携わる人間からすれば、「苦音」という表現は看過できない侮辱だろう。一方で、「設置したなら自由にやらせろ」という意見も根強い。この二つの感情がぶつかり合ったことが、今回の炎上の正体と言える。
そもそも、設置しておきながら注文を付ける運営側の姿勢にも矛盾はある。どのような経緯でその発信に至ったのか、説明は不可欠だ。だが、これはどの設置場所でも起こりうる問題であり、運営側は常に苦情との間で戦々恐々としているはずである。
日本において音楽がどのようなポジションにあるのかを再認識する必要があるだろう。ストリートピアノを「日常を彩るギフト」と見るか、「平穏を乱すノイズ」と見るか。その視線の冷たさが、今回の騒動をここまで大きくしたように思えてならない。
個人的には「こんなに炎上する話題か?」とも思うが、些末なことにこそ、その国の国民性が透けて見えるものである。