競馬とボート、パチンコパチスロをダラダラやる男のブログ

競馬やボート、パチンコパチスロの話題を中心に、賭け方をよりスマートにしながら、試行錯誤を繰り広げているブログです。


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横浜DeNAベイスターズ7年ぶりの日本シリーズ進出に思うこと

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当然のことながら嬉しい。

それは本心だし、心の底から嬉しい。

ただ別の本心として、ホークスに4タテされるんだろうなというのもある。

まず今の打線は決してホットではない。

近藤健介や山川穂高のような高位安定の選手は少ない。

メジャーリーグだと9番バッターも一発があるなんてよく聞くことだが、ソフトバンクにもそれがある。

CS史上、横浜の防御率は歴代2番目で、8試合の防御率で見れば最もいい。

一番その防御率に驚いているのは横浜ファンである。

横浜は打撃だけでのし上がってきたと言われ、投手力・守備力度外視みたいに思われていた。

それはファンだって同じ気持ちであり、ファーストステージがまさに象徴だった。

ファイナルステージが今まで見たことない横浜だったと言える。

 

最終戦は、2エラーで2点を失っていて、打線が冷えに冷えていた。

正直諦めており、やっちゃえ日産ではないが、決めちゃえ巨人と思っていた。

大量失点されれば諦めがつくという思いからだが、ここで巨人がエラーを活かせなかった。

直後に横浜が同点に追いついたことで、すべて変わった。

巨人は菅野を出すなど、よもやの死闘となり、最後は牧が決めた。

その前に、森が好走塁で三塁に行っていたのも大きかった。

森はビッグプレーが多い一方、ミスも目立ち何かと叩かれる存在で、この日も最初にミスを犯した。

しかし、そのミスがフリのごとく、タイムリースリーベースと好走塁の2つで取り返してみせた。

個人的に懲罰交代が単なる温情にしか思えないのはこうした点にある。

ミスをした選手を交代させずに出し続け、ことごとくチャンスを潰してもなお起用し続けることの方がよっぽど懲罰である。

何より取り返してしまうこともあるわけで、コスパはいい。

 

おそらく横浜はソフトバンクに負けるだろう。

問題はその負け方と抵抗の仕方にある。

2024年のソフトバンクは2017年のソフトバンクと状況が似ている。

どちらも90勝以上しており、盤石だった。

そして、油断がない。

小久保監督は横浜が勝ち上がることを想定して、嶺井を一軍に合流させている。

シーズン中は日ハム相手に苦戦したソフトバンクだったが、終わってみれば3タテ。

しかも、横浜の打線はお世辞にもホットではない。

その状況で横浜の日本一を大真面目にプレゼンするのは酷である。

この数日で打線が勢いを取り戻し、投手陣がCSと同じ感じであれば、一発か二発は入るかなとは思う。

2017年の日本シリーズと比べると戦力的には上がったかもしれないが、それ以上にソフトバンクの戦力強化がえげつない。

だから、横浜は堂々とぶつかっていけばいいし、仮に玉砕してもそれはそれで経験。

2017年での経験はその後ほぼ生かせずじまい。

大事なことはリーグ優勝をすることであり、そのための糧を得ること。

そのために4タテされるのであれば安いものである。

3年連続90敗、5年連続勝率3割を経験すると、日本シリーズの4タテなんかかすり傷にもならない。

怖いものは何もないんだから、堂々と戦って華々しく散ろうではないか。

といって、日本一になったら号泣するダサい大人になり下がるのだろうなぁ。

これを書く今も、CSを突破したことに泣いちゃってるんだから。

政治色を鮮明にする芸能人に感じる強い疑問

アメリカだと、トランプ氏を支持するとか、ハリス氏に頑張ってほしいとか、さまざまなアーティスト、俳優、スポーツ選手が政治色を鮮明にする。

それはアメリカがそういう文化にあるからで、日本がこれを目指すのは非常に難しい。

早い話が、「自分の意見を否定されること=自分のすべてを否定されること」になりやすいからだ。

意見と人格は切り離して考えるべきで、意見が異なるからといって人格まで否定する権利は一切ないはずだ。

しかし、その意見が生い立ち、体験などで構築されると、自分の意見が人格の一部になってしまう。

意見を否定されて、人格否定のごとくキレる人が少なくないのは、そういうことだ。

海外だとディベートの訓練がなされていて、意見と人格は切り離されやすい。

ディベートは自分の意見もしくは自分が毛嫌いする意見、それぞれの立場に強制的に立たされてその立場でいかに相手を任せるかが問われる。

例えば、根っからのアンチ巨人かつ筋金入りの阪神ファンであれば、ディベートにおいて、巨人が日本で最も優秀な野球チームという立場に立たされて、相手を説得せざるを得なくなる。

当人からすれば耐えがたい屈辱だが、相手の立場に立って議論をしていくとはそういうことだ。

その訓練ができている、もしくは当たり前に行っている人であれば、政治色を鮮明にしても特段問題はないと思う。

 

ここ数年で、政治色を鮮明にする芸能人が増えたと感じるが、異なる意見に柔軟だなと思う人をそんなに見かけない。

選挙の結果に対し、自身が応援する政党や思想信条が少数派となると、平気で「日本は終わった」など民意をバカにする意見をする人がいる。

大多数は無党派層、というよりも、半径数メートルの出来事で精一杯の人が大多数という時代である。

政治的な議論も「そんなヒマはねぇんだよ」と切り捨てる人ばかり。

ふわっとした民意とよく言われるが、いかにその民意をつかめるかが大事だし、「日本は終わった」なんて大上段から言われたら普通はカチンとくる。

その中で政治色を鮮明にするのはメリットがさほどない。

鮮明にするのであれば、異なる意見にも耳を傾けてアップデートできることが条件になる。

自分も色々な意見に触れる中で考えを改めることが多々ある。

それはブレではなく、多数の視点でチェックして分かり得たことだ。

右だろうが左だろうが、正しいことも間違っていることもある。

この立場の意見は100%正しい、すべて間違いというのはあり得ない。

理論的に考えれば正しくても感情的に突き通すのは厳しい意見もある。

感情的な意見はすべて醜いかといえば、決してそんなことはない。

 

自分自身が強く右寄り、強く左寄りの知り合いをそれぞれ抱えているから、比較的柔軟に考えたいと思う部分がある。

高校時代にそういう機会に恵まれたことで、自然と訓練を受けられていた。

見える世界は、立場によって異なる。

同じものを見ていても、何を思い、何を感じるかは180度変わるもので、それ自体は否定されるべきではない。

 

何度も言いたいが、政治色を鮮明にすること自体は一切悪くない。

ただ、異なる意見をぶつけられて耳を傾けられず、人格否定のように思うのであれば、政治色を鮮明にするメリットは一切ないと思うべきだろう。

一時的には、同じ意見の人に熱烈支持を受け、その意見を言い続けることで収入を得ることは可能だ。

でも、一切のブレが許されず、少しでも異なることを言えば、裏切り者扱いをされ、末代まで恨まれることもあるだろう。

面倒だからそんなことを表明したくないというのもある種正しい対応である。

意見を表明することは本来覚悟がいるし、どのような結果になっても腹を括るべきだ。

意見を言うとはそういうことだ。

まぁ「お気持ち表明」という表現は、「てめぇの意見なんか知らねぇよ」を皮肉った表現だから、政治色を鮮明にするのもある種の「お気持ち表明」と言われればそれまでか。

異なる意見に耳を傾けるのは、訓練を要することなのかもしれない。

藤田菜七子の引退理由は度重なるリークでプッツンしたからか

競馬の騎手やボートレース・競輪・オートレースの選手は、辞めろと言われるまでは辞めようとしない。

「自分は向いていないので辞めます!」と言える人はよほど見切りをつけるのが早いか、色々と無頓着な人だ。

なぜなら、騎手や選手は刑務所のごとく規律が厳しい学校で必死に耐えた人たちだ。

年収が1,000万円以上期待できるなど、色々な思惑で入ってくる以上、「懲役1年」みたいな環境も必死で耐えられた。

だからこそ、ボートレースや競輪、オートレースには強制引退がある。

辞めたくなくても辞めざるを得ない環境にしているのは、そうでもしないと居座るからだ。

 

だから、藤田菜七子が引退するのは正直驚いた。

確かに虚偽申告を当時行っており、制裁を受けるのは当然であるが、誰も辞めようとはしない。

水沼元輝のように今年5月から来年2月いっぱいまで騎乗停止となった騎手も、決して辞めておらず、むしろ遅刻癖が治ったぐらい、改心している。

笠松競馬では不当な処分として一時は騎手を辞めさせられた筒井勇介や高木健が長いブランクの末に戻ってきた。

強制的に辞めさせられるケース以外で、自ら辞めるのはレアである。

競輪選手の高木真備のように、一定の実績を重ね、はっきりとやりたいことが見つかった人が引退するケースもあるが、これもレアである。

騎手の不祥事は数えきれないほどあるが、不祥事を理由に辞めるとすれば、それは犯罪レベルのことをしでかした人。

それでも、交通事故で人を死亡させてしまっても現役で居続ける人はいる。

藤田菜七子のやったことは、明らかに強制引退レベルではない。

しかし、藤田菜七子は引退を選んだ。

 

藤田菜七子の引退の大きな理由は度重なるリークであろう。

藤田菜七子はホリプロとマネージメント契約を結んでいたせいか、基本的には多くのマスコミに守られていた。

しかし、週刊文春だけは攻め続け、数々のスクープが報道される。

それ自体はどの国にもあるパパラッチ的なものだが、その後も藤田菜七子は結婚のスクープを始め、文春に攻められ続けた。

結婚の報告ぐらいは自分の口からしたいものだが、結果として文春に先行された。

今回の引退も文春に刺される形となった。

誰が週刊文春にリークしたのか。

特にスマホでのやり取りは、藤田菜七子が自らスクショを撮って周囲の人にバラまいたはずがないわけで。

 

もしかするとだが、結婚のスクープも、スマホの不正利用の件とつながっている可能性も考えられる。

昨年5月の件では藤田菜七子以外の女性騎手が全滅となり、もっと言えば藤田菜七子だって使っていたわけで、本来なら同罪で処分されるべきだった。

しかし、藤田菜七子だけは「口頭での厳重注意」はあったにせよ、行政処分は受けなかった。

周囲の人らは、おおよそ事情は知っているだろうから、えっ?となる可能性がある。

だから、結婚スクープも、各所で挨拶回りをする中で、文春に出しちゃえみたいなことがあったのかもしれない。

藤田菜七子と他の女性騎手の対立構造に結果的になってしまったのかもしれないが、藤田菜七子は今の女性騎手の流れを作った人。

加えて、他の女性騎手と比べて年齢が離れている。

そもそも疎遠になりやすい関係性であり、しかも、スマホの件があった。

遅かれ早かれこういう未来が訪れたと考えるべきだろう。

 

仮に藤田菜七子が1年近い騎乗停止を食らい、復帰したとする。

今までと同じように女性騎手たちと交流できるかといえば、きついものがある。

藤田菜七子の実績的に、ローカル場で平場での騎乗馬を奪い合う状況は避けられない。

それだけ女性騎手の2キロ減は大きい。

「例の件はノーサイド、切磋琢磨をしながら頑張りましょう!」と果たして後輩から言えるだろうか。

藤田菜七子から言って成立するのは、藤田菜七子が先に30日間の制裁を食らい、他の女性騎手たちが虚偽申告をして1年近い制裁を受けたケースである。

それも考えると、1年近い制裁を乗り越える気にならなかったと考えるのが自然だろう。

 

旦那はJRA職員で、針のムシロだとは思うが、一応は新婚であり、子供を作るといった未来が見える。

だったら、当面は家庭に入り、いずれどこかで競馬に携わる仕事をしようと思ってもおかしくない。

馬に優しいと評判で無理はさせなかったとされる藤田菜七子なので、厩務員や調教助手として復帰する可能性はあり得る。

小牧太が園田競馬に復帰した経緯があるように、地方競馬において、藤田菜七子が復帰する可能性もないとは言えない。

それは数年後だろうが、面白い人生にはなる。

ある種藤田菜七子の決断は、早々に見切りをつけた結果であり、過去の栄光なんかどうでもいいとばかりに捨てられたのかもしれない。

高すぎるプライドから制裁を耐えられなかったという見方もできるが、そこも見切りに入るだろう。

とりあえずは生きていてほしい。

ほとぼりが冷め、当時の心境を冷静に語れる状況になってから、またアクションを起こせばいい。

凱旋門賞で女性厩務員などが愛馬が勝利して号泣する光景を見ていると、馬は強くなっても、文化的には歴然とした差があるのかなと感じる。

この差を埋めるためにも、藤田菜七子に最後まで頑張ってもらいたかった。

その役割は永島まなみや今村聖奈などが担うことになった。

日本にはさまざまな場所にガラスの天井があるが、各所でその天井が破れることを願うばかりである。

店員の目押しはダメで固定ハンドルは黙認なのは健全か

店員が目押しをするのはダメで、固定ハンドルは黙認される状況に誰も何も思わないのだろうか。

店員の目押しも固定ハンドルも、客の技術介入の要素がなくなるからアウトであるのは特段の異論はない。

ジャグラーですら目押しができないおじいちゃんおばあちゃんが、ペカるたびに呼び出しボタンを押し、タイミングだけを伝えている店員の滑稽な姿を多くの人が見ているはずだ。

おじいちゃんおばあちゃん相手なんだから目押しをしてあげればいいのにとつい思いがちだが、そんなことをしたら店を閉めなきゃいけない可能性が出てくる。

それは固定ハンドルにも同じことなのだが、なぜか固定ハンドルは黙認というか、厳しくチェックされない。

早い話、店員の目押しは黙認のしようがなく、うっかり目押しをする形になってしまう偶然が起こりようがない。

固定ハンドルは色々言い訳ができそうだから、結局黙認なのだろう。

でも、黙認という状況は店側からすれば致命傷になりかねない。

悪意をもってその店を潰そうとする勢力がいたとして、裏バイトとして若者を雇い、固定ハンドルをさせて、その状況を警察に指摘すれば何かしらの指導を受けるだろう。

店員の目押しであれば、仮にペカってから揃えられず、1000ゲーム回し続ける客がいたところで、店側からすれば放置でいいし、サービス業としてどうなんだ!と言われる筋合いはない。

なぜなら規則でできないわけだから。

ゆえに多くの店は固定ハンドルを黙認するが、その状況は色んな隙を与える。

そんな人は出てこないだろうと思っていたら大間違いである。

パチンコの闇を暴くとか言い出すYouTuberがいずれ出てくるだろう。

そんな時に迷惑系となって、固定ハンドルの闇を身を挺して暴こうとしたらどうなるだろうか。

だから、おじいちゃんおばあちゃん相手でも、固定ハンドルに対しては厳しく指摘し、最悪の場合は出禁にさせるのがいい。

それはあんまりだと思うかもしれないが、店員の目押しは厳しく運用されているのに、固定ハンドルだけ甘い整合性がとれない。

だったら、店員の目押しも許してあげればいい。

最近よく見るケースは、大花火の時のようなリプレイはずしを店員に求めるケースではなく、フラグが立ったものを揃えてくれという話だ。

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自分は何回か目押しを頼まれたことがあるが、全部断っている。

ジャグラーぐらいの目押しはそりゃできるが、ビタ押しを求められるものは酷いくらいできない。

何回か成功した時に自分がびっくりするくらい。

あと、フラグで既にレギュラーかビッグか決まっているのに、てめぇのせいでレギュラーになったじゃねぇかと言いがかりをつけられたくない。

色々あって、自分は断るようにしている。

ちなみに、他の人が目押しの代行するのは元々アウトらしく、法的に正しいのかと安心した。

 

固定ハンドルも厳しく取り締まるべきだろう。

もしくは目押しも固定ハンドルもこの際容認してしまうか。

店側に運用を委ねるような、恣意的な対応は色んな問題を孕むだけで、取り締まる側の思うツボになりそう。

恣意的な要素を限りなくゼロにするのが、本来あるべき姿だと思う。

まぁ日本人は曖昧さや恣意的な要素を好みがちだが、それが許された時代ならいざ知らず、もうそんな時代ではない。

藤田菜七子の引退報道で出てきたTwitterの扱いの差を考える

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今ではルメールなしには成立しない状況だが、ルメールがJRAの通年免許を得て間もない時、彼はTwitterを使ってしまい、1か月間の騎乗停止となった。

2023年5月、今村聖奈や永島まなみなどがスマホを使って1か月間の騎乗停止になった際、なぜその時までスマホが持ち込めたのかと誰しもが不思議に思っていたが、2015年にその答えは出ているはずである。

ルメールや大江原圭などがTwitterでやり取りしてアウトになった時点で、再発防止策をとるべきだった。

若者はスマホが…と、さもスマホを手放せない若者を憂う論調にあふれ返っている情けない状況になっているが、他の公営ギャンブルでは、「今のところは」血気盛んな若い選手たちもルールを守っている。

ボートレースで今回のことと同じことが起きれば、少なくとも1年以上出られなかったはずである。

フライング1回で30日も休みになる。

スマホがバレて30日というのはよくよく考えれば軽いも軽い。

水沼元輝は1年近いペナルティを課せられたが、それでもボートレースと比べれば優しい方かもしれない。

 

藤田菜七子が引退することになったが、23年5月時点で自己申告した際にはYouTubeとTwitterを使っていたことをJRAに伝えている。

この点で、厳重注意を受けたために、後々の二重処分、一事不再理とは?という話になるが、JRAは「口頭での注意は正式な処分にあらず」というスタンスのようだ。

非常に苦しい言い訳にも見える。

Twitterの閲覧だけだとしても、八百長の観点で言えば、誰かが暗号を使って指示を与えていて、それを見てアクションを起こす可能性だってある。

閲覧の時点で本来はアウトなのに、JRAは見逃したことになる。

女性騎手への風当たりをこれ以上強くしたくないから、あえて見逃したということなのか。

 

公正競馬の観点から考えれば、23年5月時点で処分を出せなかったのはJRA側にも非がある。

Twitterの閲覧だけなら何の問題もないという根拠をぜひとも示していただきたい。

仮に自首による「減刑」で厳重注意に処したとしても、戒告なりなんなり出せたのではないか。

そもそもルメールや大江原がTwitterでやらかした時点で、スマホの持ち込みを禁じるべきだった。

なぜその段階でそれをしなかったのか。

仮にルメールの時にスマホの持ち込みがアウトになれば、競馬学校で厳しく指導が行われたはずである。

公営ギャンブルに携わる者としてどうあるべきかをしっかりと教わる機会に恵まれたはずだ。

その機会を少なくとも8年間は逃し、その8年間で育った騎手たちが問題を起こしているとすれば、それは2015年3月に起きたルメールのTwitterを巡る騒動が何も活かされていなかったことを意味する。

若手騎手も当然悪いが、教育する側が失態を演じたのだから、これはしょうがない。

親の顔が見てみたいというやつで、親があの体たらくではどうしようもないだろう。

こういう場面で急に、自分を守ろうとする大人を、子供はよく見ておいた方がいいだろう。

 

藤田菜七子に対する思い出はまた別途書くつもりでいる。

たまたま中山の検量所のところで、騎手になる前の藤田菜七子をたまたま目撃した。

厩舎研修を受けている最中で、2014年の冬のこと。

ものすごく可愛らしかった記憶がある。

その記憶が強烈にあるので、デビュー時から応援していた。

こういうことになるなんて、誰が想像しただろうか。

ただ、報道先行で熱愛やら結婚やらリークされていくのが耐えがたく、今回の件で限界を迎えたのであればそれは致し方ない。

何のための事務所なんだろうかとも思うが。


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