競馬とボート、パチンコパチスロをダラダラやる男のブログ

競馬やボート、パチンコパチスロの話題を中心に、賭け方をよりスマートにしながら、試行錯誤を繰り広げているブログです。


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世の中は「そんなことで怒られなきゃいけないんだよ」であふれている


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人間だれしも、「なんでそんなことで怒られなきゃいけないんだよ」と思うことがある。

怒られる側からすれば些細なこと、怒る側からすればとても大事なこと。

怒られるにしても、ちょっと過剰ではないかと思ってしまう。

そして、怒る側も立場が変われば怒られる側となり、「なんでそんなことで怒られなきゃいけないんだよ」と不満を覚える。

人間は「そんなこと」で怒るし、「そんなこと」で怒られる。

 

特に物事を教えるような状況で、高確率で怒る側怒られる側のギャップが生じる。

道具を疎かにするな、挨拶はしっかりとしろ、怒る側にはそれだけの理由がある。

道具を疎かにすれば何が待っているか、挨拶のない環境はどんな環境へと変化していくか、身をもって体感した人ほど怒るかもしれない。

ところが、怒られる側の多くはまだ経験をしていない。

経験していないものに対する想像力の乏しさは、誰にだってあるし、これを咎めるとノーガードの殴り合いになる。

新型コロナウイルスもそうだが、感染して事の重大さに気づく人が結構いるのは、仕方ないことである。

そんなことで怒られなきゃいけないのかと感じるのは当然であり、単に怒る側の説明不足だと思う。

 

何事にも言える話だが、体罰パワハラなどは怒る側が自分自身に甘いから発生する。

そして、体罰パワハラを行う側が「そんなことで怒られなきゃいけないんだよ」と思いがちである。

そうでなければ、秀岳館サッカー部のように生徒に実名を出させて矢面に立たせることはしない。

月曜日、スッキリに秀岳館サッカー部の監督が登場したが、この監督もまた怪しい人物のようだ。

本当に心から体罰パワハラを悔いたとすれば、当事者が矢面に立つであろう。

良心の呵責に耐え切れず、制止を振り切って実名を出して謝罪するはずである。

体罰パワハラをする側は、ほとんど心から悔いることをしない。

これで罰せられようものなら、「そんなこと」でキャリアを絶たれるのかと愕然するだろう。

 

佐々木朗希の件も、白井球審の態度ははっきり言えば大人げなかったと思う。

大役の割に給料が少ない、重労働、オラオラ系の人たちにとやかく言われるストレスを考慮すれば、可哀想な面もある。

恐らくだが、白井球審を始め、審判経験者のほぼ全員が「そんなことで怒られなきゃいけないんだよ」と内心思っているだろう。

審判として当たり前のことをしたまでだ、バカ野郎と言いたげである。

ならば、「審判として当たり前のことをしました」と言えばよかった。

権力や権威に弱い日本人なら、きっと審判の事情もくみ取ってくれるし、佐々木も調子に乗るなという世論がわずかでも出たかもしれない。

ところが、白井球審は、事実上のノーコメント。

堂々と審判としての職務を全うしたと言えばよかっただけなのに。

ついつい感情的になってしまいました、申し訳ございません。って言えばよかったのに。

「そんなことで怒られなきゃいけないんだよ」がこれでもかと滲み出ていることがわかる。

まず、心の底から「やってしまった…」と思っていれば、コメントの出方はかなり変わったと思う。

佐々木朗希に詰め寄ったことは審判としての職務を全うしたことだから問題ないと擁護した人も、ノーコメントには批判的だ。

「そんなことで怒られなきゃいけないんだよ」と思ってしまうのは仕方ないが、大人が態度に出したら単なる傲慢としか言いようがない。

 

「そんなことで怒られなきゃいけないんだよ」と思う人はどんなことなら堪えるのだろうか。

致命的なミスで命を落としかける、職を失いかける、信頼を失墜させたなどの出来事を繰り返してしまった時だろう。

だとしたら、かなり残念な人間ではないだろうか。

重大事故を起こした知床の観光船の会社のように、書類送検の事案などを出したにもかかわらず、結局何も学ばず、あんなことになった。

商人放浪記というスマホアプリゲームを思い出した。

広告で、目先の金を優先して安いアイテムばかり使って倒産してしまう事例ばかりが流れてくる。

商人放浪記的なことを、リアルでやってしまい、未来ある若者、子供を含め、多くの人命を奪ってしまった。

商人放浪記はスマホアプリゲームであって、あそこでどれだけ失敗しても支障はない。

スマホアプリゲーム的な失敗を、リアルの世界、人命が関わる中でやってしまったというのは、形容しがたい怒りを覚える。

まさか「そんなことで怒られなきゃいけないんだよ」とは思っていないと思うし、思ってたら人でなしだろう。

 

「そんなことで怒られなきゃいけないんだよ」と思ってしまったら、なぜ相手はあんなに怒っていたのかと考えることだ。

そして、相手の過去を知り、自分の経験がそうさせるのかと思えれば、多少は気を付けようと思える。

「そんなことで怒られなきゃいけないんだよ」と思わせたら、それは怒る側の怠慢でしかないので、なぜそう思わせてしまったのかと考えることだ。

悲しいかな、怒る側も怒られる側もこういう時ほど被害者を演じる。

お互いに依存し合っており、その関係は人間性を腐らせるだけである。

 

おそらく「なんでお前にそんなことを言われなきゃいけないんだよ」と思った方もいるかもしれない。

それは真っ当な反応である。

自分だってそう思うかもしれない。

ただ、そこで自分なりに考えるか、反発で終わってしまうかでその後の展開はだいぶ変わると自分は思う。

傲慢な人間もいていいと思うが、莫大な富を築いた人だけが傲慢になればいい。

金がない人間が傲慢になっても、悲劇的な死を誘発するドMにしか思えない。


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