2011年週刊AKBで、当時AKB48のメンバーだった仁藤萌乃が篠田麻里子にマジギレされるという事件があった。
メンバーがドッキリをかけていくという企画なので、仁藤萌乃からすれば仕掛けているだけ。
篠田麻里子曰く「逆ドッキリ」をかけようとしてオーバーにキレた結果が「マジギレ」となったようだ。
あれは演技だったようだが、旦那とケンカした際に、ベランダから飛び降りようとしたのも演技だったのだろうか。
いずれも演技だとすれば、日本を代表するカメレオン女優になってもおかしくないが。
そんな篠田麻里子にキレられた仁藤萌乃が今世間を騒がしている仁藤夢乃の妹というのを知ったのは最近である。
仁藤夢乃のWikipediaを見ると、「暴言が飛び交う家庭」だったと書かれている。
母親は精神的な病となり、暴力を振るわれることもあったらしい。
とにかく思春期に「壮絶な体験」を繰り返す中で色々な出会いがあり、ボランティア活動に目覚め、2011年にColaboを立ち上げる。
ここまではWikipediaでの情報だが、個人的に仁藤夢乃という存在は、とにかく「攻撃性の強い人物」という認識である。
社団法人としての理念や政治的信条などについてとやかく言えるほど自分は賢くない。
なので、今までの活動などを評論する気はない。
しかしながら、Twitterなどの言葉や態度を見ると、ものすごく攻撃性が強い。
マイノリティーの立場を主張する女性ほど、かなり攻撃性が強い。
攻撃性が強くないと自分の話を聞いてもらえない、訴えが届かないという焦りも当然あるのだろう。
そして、自分の主張から少しでもズレた意見を容赦なく否定しようとする。
自らは「虐げられた被害者」であり、すべての反撃が正当防衛だと思っているのではないだろうか。
被害者であれば最大限の弁済を求めるのは当たり前であり、譲歩しなくても心情的に理解できる。
確かにここ最近の女性にまつわる問題は、女性が過度に虐げられている部分もあり、そのような反応になるのもわかる。
主張自体はある程度理解できるものも多く、いずれ改善されるべきものが多い。
しかしながら、その原動力が「攻撃性の強さ」にあるせいか、なかなか折り合いがつかない。
仁藤夢乃などに反発するのは、いわゆる「弱者男性」が中心。
結局弱者男性もある種「虐げられた被害者」で、攻撃性もあるので、ここ最近のColabo問題で元気になるのも当然といえば当然である。
ちなみに自分も明らかな「弱者男性」だが、性格が天邪鬼なせいか、その考えにも乗りたくない。
だからかもしれないが、この問題に関しては本当にニュートラルな気持ちで、ただただ事実を見つめ、フラットに見ていきたいと思っている。
お互いが「被害者」を自称し、お互いが「正当防衛」を主張し、お互いが折り合いをつける気がない。
その行きつく先はどちらかが倒れ、そして、武力で解決を目指そうとする道になっていくことではないだろうか。
言葉でわからないなら暴力で目にものを見せる、2022年がその象徴となる年であった。
暴力を持ち出さずとも解決を目指すには、とにかく話し合いを重ねてコミュニケーションをとり続けることしかない。
その話し合いを拒否するから暴力に訴えざるを得なくなる。
攻撃性の強さも、話し合いでは解決しないことを痛感したからではないだろうか。
確かに「話せばわかる」ほど人間は単純ではない。
話せども話せどもわからないのが人間である。
絶対に譲れないラインには自分の人生と深く結びついていることも多い。
自分の人生を否定してでも泥水を啜れる人はあまり多くはない。
だから、Colabo問題は互いに致命傷が入るところまで激化するように思う。
しかしながら、本当に男女平等を考え、男女平等の意味を理解するには、いつかは起きる問題であり、乗り越えるべき課題である。
真の友情は殴り合わなきゃわからず、互いに傷つかないと理解できない。
ケンカをして絶交して、互いにバツの悪さを感じながらも関係性を戻す中で関係性が構築される。
仲良くやっていくにはそれ相応のバトルや犠牲などがないとなかなか大変である。
ここ最近の世間は「仲良し」であることを求めるが、それまでにそれ相応のバトルを繰り返し、互いに傷ついたプロセスがどこかにある。
おしどり夫婦だって、どこかで離婚の危機があり、それを乗り越えて今がある。
なので、Colabo問題も遅かれ早かれ起こりうることだった。
Colabo問題は公金が入っているなど、それなりの正当性を主張して問題を大きくしようとしている。
じゃあ財務的な面でクリーンになったら心から応援するかとなると、そんなはずはない。
そもそもの話、弱者男性をフューチャーするような雰囲気は微塵も感じられない。
テレビを見ても、さわやかな青春が持てはやされ、鬱屈とした青春は悪として描かれている。
いや、悪ではなく気持ち悪さの象徴か。
本当に一億総活躍社会を目指すのであれば、弱者男性が弱者男性なりに活躍できる道を探すことである。
仁藤夢乃などが弱者男性に少しでも共感する姿勢を見せれば、互いに致命傷を負うことはないだろう。
もちろん弱者男性側が仁藤夢乃などの主張に多少なりとも理解を示す姿勢を出しても同じである。
残念ながら互いが「虐げられた被害者」だと思っているので、それは見込めない。
実はこの問題の落としどころはあるのだが、被害者意識はそう簡単に捨てられない。
被害者意識が自分のアイデンティティであり、人生にも結び付くことだからだ。
自分の人生を全否定してまで泥水を啜れるとは思えない。
これ以上問題がこじれて、いずれかが致命傷を負うようなことにならないことを願いたい。
全てを理解する必要はない、多少でも理解しようとする姿勢と聞く耳を持つ姿勢、改める姿勢を少しでも持てばいいのだが。