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バレーボール部で横行する体罰問題について考えてみた


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以前バレーボール部に所属していた母親に聞いたが、見込みのある選手には厳しく当たるが、母親のように補欠組には何もしなかったという。

見込みのある学生には甘く、見込みのない学生には体罰をお見舞いするという話はそこまで聞かない。

やはりレギュラークラスの選手に何かしらの体罰を加えることが多いようだ。

バレーボール部での体罰は神奈川県のケースだけでなく、千葉県の複数の高校でも逮捕者が出ている。

ちなみに千葉県の高校で逮捕された指導者はいずれも減給にとどまっており、民間企業とは大違いだ。

民間企業で仮に逮捕され、略式起訴をされて罰金刑が出たら減給でとどまるだろうか。

 

しかしながら、バレーボール部の体罰に関するニュースは今年だけで何件も出てきている。

昨年に春高バレーで優勝した日本航空高校の監督も体罰を理由に解任されるなど、強豪校ほどこの手の話題が出てきやすい。

裏を返せば、弱小校での体罰は話題にすらならないだろう。

以前もバレーボール部の体罰問題がニュースになっていたが、1964年東京オリンピック金メダルでおなじみ「東洋の魔女」の影響がまだ残っていると指摘したのが自民党の参議院議員であり、自らもバレーボールの選手だった朝日健太郎である。

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東洋の魔女と呼ばれた女子バレーの選手たちは午後3時から深夜2時まで練習を行い、徹底的にしごかれていた。

その指導を行っていた大松博文は鬼の大松と称され、スパルタのトレーニングで結果を出し続けた。

確かに映像では倒れてる選手にひたすらにボールを打ち込む大松博文の姿が映されている。

しかし、当時の選手のエピソードを読む限り、ぶん殴られたなどの話は出てこない。

そもそも大松博文は戦時中、インパール作戦に参加しており、形容することすら憚られる環境の中で生き抜いている。

大松博文にとって戦争前と戦争後で性格がガラッと変わったようで、それまでは控えめで気の弱いタイプだったが、戦争後は鬼になった。

といっても、鬼になるまでにそれなりに時間があったようで、指導していたバレー部が全国で活躍するようになってからという説が有力のようだ。

大松博文の考え方は、強くするためには手段を選ばない、女子選手を女子と思って指導したらいけない、勝たなきゃ何の意味もないなど、令和の時代なら100%文春砲を食らうような考え方である。

しかし、このような声に大松博文は一切耳を傾けず、勝つために手段を選ばず、とにかく選手たちを苛め抜いた。

そこには1つの信念があり、インパール作戦で感じたことがベースとなっている。

だからこそ、東洋の魔女と呼ばれた選手たちは大松博文についていったのだろう。

 

体罰で逮捕された指導者などは50代が多い。

その指導者たちが学生だった1980年前後は、1964年の東京オリンピックから15年ほど経過した時期。

大松博文は若くしてこの世を去っていたが、その成功例は多くの指導者がマネしていたと思われる。

そして、その当時学生だった人たちもスパルタトレーニングを経験して成功をおさめ、自らも指導者となってそれを実践し、結果を残した。

大松博文イズムを持った人たちが大勢を占めているからこそ、バレーボール部で体罰が横行するようになった。

 

もしも体罰を撲滅するなら大松博文や東洋の魔女を全否定する必要が出てくる。

しかしながら、「あんな厳しい練習で金メダルを得たってなんの意味もないし、悪しき歴史を残しやがって!」などと全否定できるものだろうか。

仮に全否定しようとしても、その反発は相当なものとなり、体罰の撲滅どころではなくなる。

むしろ大松博文の考え方が改めて再評価され、体罰はスポーツの指導において必要なんだと自説の強化に用いる指導者が増えるだろう。

ただ戦争を知らない世代が、大松博文の考え方を学んでも、100%理解できるとは思えない。

インパール作戦での経験、兵士時代の思い出などが色々合わさっての考え方である。

結局のところ、肝心要の部分が欠落し、ただ体罰をすれば強くなれると思っている人らが体罰を活用し、逮捕されたのかもしれない。

だから、日本バレーボール協会がやるべきことは、大松博文がどういう人生を歩み、なぜ鬼の大松になったかを改めて学び、それを伝えることではないだろうか。

体罰で強くなる、それはなぜか、本来ディスカッションされるべきである。

大松博文には揺るぎない覚悟と決意があり、その根底には、気を抜けば死が待っている壮絶な戦地での体験がある。

だからこそ、どんな批判にも耳を貸さず、女子選手をしごきにしごきまくり、そして、結果を出して黙らせ、賞賛の対象となっていった。

今の指導者が戦争体験なしにどのように揺るぎない覚悟と決意を持っていくべきか。

少なくとも、口だけで「殴らなきゃわからない」などと妄言を吐くような人物にそのような覚悟は持てないだろう。

人生観、死生観を一変させるようなきっかけを持つ指導者しか無理だ。

そして、今の時代にそのような指導者は見当たらない。

 

今の若者は怒られたことがないから指導も気を付けなければならないと嫌そうに語る人が多い。

しかし、今の指導者たちも、昔の指導者たちの大切な部分を、わざとか、自分の甘さか、見ないフリをしているように思う。

今の指導者があって今の若者がいる。

そのようなことを忘れる程度に、自分に甘いアホな指導者があふれているということなのだろう。


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