正直な話、まいまろわーるどのエアー舟券疑惑や的中スクショの捏造疑惑など、ここまで大事になるとは思ってもいなかった。
まして、ボートレースびわこ以外の公式配信において、電卓を使うなどのギャグが展開され、ネタになるとも思わなかった。
西川昌希のことは全力で無視するが、まいまろわーるどの行ったことはみんなネタにしている。
それくらい、彼女がやった行為は衝撃だったということだろう。
ボートレースびわこの公式チャンネルで配信されているボートレースコロシアムでは、4月3日の初日の冒頭、代理店である日刊スポーツのお偉いさんと「シト氏」が謝罪を行っている。
普段は「シト君」だが、日刊スポーツが発信した謝罪記事では「シト氏」と書かれていた。
要するに、「1回目の謝罪」の際に上半身はスーツ、下は短パンみたいな恰好で謝罪したのが良くない、あとは射幸心を煽るような発言をしていたことがきっかけのようだ。
大前提として、まいまろわーるどが引き起こした事案であって、「1回目の謝罪」としているが、いわば経緯説明などを行ったようなものだ。
問題視されたのは「射幸心を煽る発言」だったのだろう。
しかしながら、「反省とは程遠い内容」というのは、どういうことなのだろうか。
まいまろわーるどに向けられた言葉ならいざ知らず、この言葉は運営サイドに向けられている。
また「射幸心を煽るような発言」として先ほどの記事で1つ発言の内容が紹介されていた。
その際「出演者が明日のメシの金を全部使ってでも、番組を盛り上げるために全力で金を賭けてやってるんです」などと、射幸心を煽るような発言を行いました。
「初鰹は女房を質に入れてでも食え」という江戸時代の言葉がある。
銚子などカツオがたくさん水揚げされるところはびっくりするぐらいカツオの値段が安いが、江戸時代では高級魚だった。
初めてのことを特別視するのは今も昔も変わっておらず、その年初めてのカツオは何がなんでも食え!という意味合いがある。
それくらいの覚悟を持てよという話で、いわばモノのたとえである。
明日のメシの金を~という表現も、その覚悟で番組に出ているんだという「魂の叫び」のようなものである。
明日のメシの金でもいいから小銭をかき集めて勝負したら何かいいことがあるかもよ?ということではない。
それを「射幸心」でまとめられると、女房を質に入れてでも…などの表現も適さないことになる。
自分は言葉狩りという表現は好まないが、言葉狩りだと指摘されたらどのように反論するのだろうかと日刊スポーツに聞いてみたい。
賞金があるから良くない!という意見もあるが、それはボートレースコロシアムに限ったことではない。
むしろ賞金や名誉のために真剣に考え、遊びでの舟券が買いにくいのがボートレースコロシアムである。
ボートレースコロシアムと一見対極に見えるのがボートレース宮島での「ぶっちぎり!」の配信である。
出演者によって悪ふざけ度合いや中身が全く異なる。
ボートレースに真剣に向かい合う部分もあれば、到底令和とは思えないセクハラ的な表現や発言も多い。
初見では実況アナの有富さんなど、なにこのおじさん?と訝しく見る人もいるかもしれない。
それでも根底にはボートレースへの愛情があり、とても熱い。
そして、包容力というか、相当懐が深く、非常に柔軟である。
ボートレースコロシアムもこの部分があり、遊び心を感じさせる。
舟券の事で息が詰まるボートレースコロシアム、目の前の宮島の絶景でなんでも良くなるぶっちぎり!。
対極に見えるが実は根っこの部分は変わらないと思う。
射幸心を煽ったかどうか、それはその人の主観でしかない。
自分は射幸心を煽られたなんて思っていないと主張しても、それは主観である。
では、客観的に射幸心を煽る、煽られるなんて誰がわかるのだろうか。
楽して稼ぐの概念も、誰かに言われるがまま機械のごとく働くのが楽と考える人もいれば、自分なりに頑張って稼ぐ方が楽と思う人もいる。
パチンコで生計を立てるなんて楽だと思う人もいるだろうが、ミネッチというパチプロの紹介動画を見て、その考えは完全に捨てた。
いちいちハンドルをちょこちょこ動かしてまでやりたいとは思わない。
どうみても楽ではない。
谷村ひとしは生涯で9000万円もパチンコのプラスがあるという話だが、ミネッチが出禁を食らいまくっている中で信憑性に欠けると自分は感じる。
でも、それだって自分の主観に過ぎず、俺もミネッチや谷村ひとしになれる!むしろもっと稼げる!と思った方だっているはずである。
そこにいいも悪いもない。
自己責任なんだからどうぞお好きにしてくださいとしか言いようがない。
お前たちのせいで射幸心が煽られてついつい金をムダ遣いした!と怒ったところで、自己責任なのだから。
もちろん自分も熱くなることはあるし、取り返すぞ!という気持ちも強い。
それは射幸心に煽られるからではなく、成功体験が大きい。
過去に泣きの1000円で大まくりしてしまうと、何回でも泣いて1000円をサンドに投じてしまう。
ボートレースであるのは、インが強い企画レースだから買ったのにことごとくインが逃げず、熱くなってどんどん買ってしまうことだ。
企画レースという存在が射幸心を煽ってないか?!とたまに思うこともあるが、結局それも自己責任である。
自由だからこそ自分の責任の中で好きにやればいいわけで、自由=無責任ではない。
好きでアルコールやギャンブルの依存症になる人はもちろんいないが、生育環境などで先行き不透明な現実があり、それをごまかすため、依存せざるを得なかった事情もあると思う。
家庭環境や経済状況などが良くない状況ゆえに、酒や、薬物、ギャンブルに逃げる人は多い。
これがなければあの状況は乗り越えられなかったという体験を持つ人もいる。
依存症を何とかするには、依存症にならざるを得なかった環境の改善を図ることだと思う。
それを業界団体やらなんやらのせいばかりにしても、一切解決しない。
パチスロ4号機時代、ギャンブルで借金を抱えた人は多いとされているが、金を借りる際のルールがガバガバで、しかも高金利。
ギャンブルで借金をしてしまうのは、精神的に相当不安定な状況だからだと自分は強く思う。
人はなぜ依存症になるのか、その根本をまず理解することだ。
酒やギャンブルは道具に過ぎない。
道具を使えなくさせてもまた別の道具を見つけてくる可能性だってある。
大事なのは、道具を使えなくさせることではなく、依存症に陥るほど精神的、肉体的に不安定にさせた原因を取り除くことだ。
再犯率の高さも、結局は精神的、肉体的に不安定な状況が根本にあり、その原因を取り除けないから。
簡単に「射幸心」という言葉を出されても、俺は悪くないという被害者意識丸出しの醜さが見え隠れする。
承認欲求もある種の依存であり、まいまろわーるどもそれに囚われたかもしれない。
みんな何かしら依存している。
それはペットなのか、恋愛なのか、家族なのか、人それぞれだ。
依存そのものがダメなのか、はたまた人畜無害な依存なら問題ないのか、そういう議論もしてほしい。
個人的に思うのは、射幸心で片付けられる話ではないということ。
依存せざるを得ない原因を取り除く気があるのか、ないのか。
ないならば、自己責任の中で依存状態をコントロールするしかない。
本来、投資と人生は自己責任である。