誹謗中傷をしてる人間は、正義感が強い人間なのかもしれない。
だから、誹謗中傷だと思っておらず、「本当のことを言って何が悪い!」としか思っていない。
悪気がちゃんとあって、「これを言ったら誹謗中傷だ…でも、誹謗中傷をしないと心の平静を保てないんだ!」なんて思いながら誹謗中傷ができる人なんていないだろう。
要するに、その人にとっては誹謗中傷ではなく、単なる正論なのだ。
本人は至ってマジメに正論を吐いているに過ぎない。
松若風馬と角田大河が騎乗停止となったが、松若風馬の方は酒気帯び運転なので、これは前例がたくさんあるので、その前例に沿えばいい。
問題は角田大河の方で、函館競馬場の芝コースに車で侵入したという話である。
この件は、まずなんでそんなことしたの?と角田大河の弁明を聞いてからでないと話のしようがない。
先日の池添謙一の件のように、色々あって手が出たというのはまぁなんとなくわかる。
的場文男の件も山口勲の件も岡部誠の件も、なんとなく想像がつく。
ところが、なぜ芝コースに車で侵入したのか、その動機は全くわからない。
花火大会があったそうだが、芝コースからはっきりと見えるかといえば、大して見えないらしい。
同乗者の存在がカギを握るが、その報道は全然出てこない。
しかも、こちらは酒気帯びではないらしい。
シラフで芝コースに侵入したとなると、より意味がわからない。
何かの事情があったにせよ、そりゃめちゃくちゃだが、この件で競馬関係者のツイートは荒れに荒れている。
細江純子を始め、言葉が出ない、残念、色んな文言を目にしたが、今週岡部誠の複数の蛮行が取りざたされた。
池添謙一が富田暁を殴ろうが、岡部誠が度重なる蛮行を演じようが、それに細江純子は言葉が出たんだろうか。
芝コースに車で侵入した角田大河に激怒して、殴ったりなんだりする騎手には激怒しないとなると、どういう価値観がおありなんですか?という疑問が出てきてしまう。
岡部誠の件は、騎手への粗暴な行為・騎手へのハラスメント行為・主催者職員などへのハラスメント行為・女性厩務員へのセクハラ行為・調教師へのハラスメント行為・騎手への迷惑行為と6つもあって、開催8日間の騎乗停止である。
細江純子はもっと怒った方がいい。
むしろこれに怒らずして何に怒るのだろう。
芝コースに車で侵入するのは人を殴るより罪が重いという価値観ならばいいんだが、それは堂々と言えたものではない。
こういう事案に対する他人の反応はいちいち面白い。
バカにしてるとか見下してるとか一切なく。
そして、冒頭の話題になってくる。
この件で、「角田大河は何考えてるんだ!」と正しいことを言うのは、そりゃそうだ。
「もしかして自分は間違っているかも…」なんて疑いもなく、絶対に正しい!俺の意見は正論だ!と思って、角田大河を非難している。
そりゃ角田大河は非難されて当然のことをしているのだが、何をもって絶対に正しい!俺の意見は正論だ!と言えるのだろうか。
芝コースに車で侵入することなんて絶対に間違っている!という事実が、絶対に正しい、正論という意見をアシストする。
一方で誹謗中傷について。
オリンピックの舞台であれだけ号泣しやがって!という「事実」が、自分の「正論」、と言う名の誹謗中傷をアシストしている。
普通の感覚を持つ人がこれを読めば、「何言ってんの?頭おかしくなった?」と思うはずだ。
でも、何をもって正しいと言えるのか、いったい誰がそれを保証してくれるのだろうか。
単に意見が一致しやすいか否かの差しかないのではないかと思う。
負けて子供のように号泣するなんて、それだけ悔しい思いをしたわけだから、正直なんとも思わない。
ところが、何が何でも絶対に許してなるものか!という勢いで糾弾し、正論という名の誹謗中傷をしてしまう人がいる。
これは認知の歪みなんだろうか。
何をもって正しいか、正しくないかを判断するのか。
誰でも判断できるように、法律や憲法が存在する。
ルールはルールと思考停止する人が多いけれど、それが揺らいでしまうと我を見失いかねないから。
もしも角田大河の件で、「あなた何をもってその意見が正しいと思ってるんですか?」と言い放ったら、心底軽蔑されるだろう。
それこそ誹謗中傷の言葉を相手に言われてしまう。
誹謗中傷の本質は、正義の暴走でしかない。
正しいことを言おうとする時点で、誰しもが誹謗中傷に手を染めるリスクがある。
正しさというオブラートに包んで内から攻撃性を出したいだけと考えるべきだろう。
誹謗中傷はやめろ!という言葉がなぜ無意味なのか。
そりゃそうだろう。
正しいことを言うのはやめろ!という言葉に、誰が耳を傾けるだろうか。
誹謗中傷と指摘される側は、「正しいことを言うのはやめろ!」と聞こえているわけで。
とにかく角田大河の制裁はどれくらいになるのか、すべてはそこである。
悪質な形でスマホを持ち込むよりも芝コースに車で侵入する方が厳しくなるのか。
人を殴って略式起訴に問われて前科がつくケースより重いのか。
一貫性のない判断をするのは大いに結構だが、それを利用されて痛い目を見て致命的な展開を招くのはJRAである。