ギャンブルの駒だからと、下手を打った騎手や選手を思いっきりdisる人がいる。
野球選手などプロスポーツ選手などにも躊躇なくdisって、さも正義、正論であるとばかりにドヤ顔をする人も少なくない。
自分は、言っても「どこ吹く風」だろうと思ってしまい、言うことへのバカバカしさがあるので、disる行為への無意味さを感じる。
コンビニのアルバイトにクレームをつけたところで、所詮そのアルバイトは、「面倒くせぇ客に当たっちゃったなぁ」ぐらいのものである。
一時期三波春夫の「お客様は神様です」を錦の御旗のごとく悪用するクレーマーが多くいた。
ボートレースだと森高一真の言葉をうまく「悪用」して選手たちへの罵声やクレームを正当化しようとする。
森高一真がそのような発言をした時代と今のSNS時代はわけが違う。
日ハムでは伊藤大海に対する過度な誹謗中傷に対し、新庄剛志監督が激怒したが、元をただせば、ピリッとしない投球が多い伊藤大海への監督やコーチの苦言に乗っかったやつらの蛮行に過ぎない。
要するに、新庄剛志などが報道陣に刺激的な言葉で伊藤大海に苦言を呈さなければよかったわけだ。
誹謗中傷をする人間は、誰かの言葉を悪用してさも正義のように振る舞う。
その構造を分かっていないものだから、「選手に対する罵声やヤジも愛のムチとして必要だ」という意見を言う。
Dr.コパが自身のXで今村聖奈の騎乗ぶりに苦言を呈したが、こいつを誹謗中傷してくれ!と指示を出しているようなものだ。
誹謗中傷は辞めろ!と思うのならば、一切の苦言を表立って言わないことだ。
本人に言えるのならば本人に直接言えばいい。
それだけのことである。
それをせずして、報道陣に苦言を呈し続けるのは、誹謗中傷を奨励しているのと同じである。
誹謗中傷をする側は基本的に正義感で行い、「正しいことを言って何が悪い!」、「正しいことをしたまでだ!」と思っている。
プロ野球の監督が怠慢行為をした選手に激怒し、報道陣に怒りをブチまけるのは、ある種仕方がない。
ただ、その振る舞いが多くの誹謗中傷を誘発する想像力を持たなければならないだろう。
報道陣を通して苦言を呈するのであれば、覚悟が必要である。
どんな出来事が起きても、一生をかけて償う、十字架を背負うという覚悟があるのならばいい。
どれだけの人がそれだけの覚悟を持てるものだろうか。
個人的な感覚では、感情によってブチまけたものが誹謗中傷を誘発している。
ブチまけた側も、当然のことだと思っているだろう。
ブチまけた側も誹謗中傷をする側も正しいと思って発信している。
その点では、この両者で需要と供給が成立していると言える。
誹謗中傷を辞めてもらうには、表立って何も言わず、裏で本人に言えばいいだけである。
「報道陣を通した苦言やSNSでの諫言」の是非がなぜ問われないのだろうか。
本気で誹謗中傷をなくしたいなら、もっと真剣に考えるべきではないか。