田代まさしが街録チャンネルに出ていたので前編・後編と見た。
田代まさしはとにかく空気を読んで、立ち回れるイメージだった。
田代まさしは今もダジャレで色々やっているようだが、昔もダジャレが好きだった記憶がある。
ダジャレを思いついたらマネージャーに買い出しに行かせてネタとなるものを買ってきてもらう。
マネージャーが買い出しに行かされる様子を何かの番組で当時見たことがある。
ミニにタコ事件がもう20年以上前という事実に衝撃を覚えた。
そのミニにタコは、事務所の人にそそのかされて言ってしまったらしい。
今だったら盗撮で捕まって半年休んですぐに出られるなんてありえないだろう。
それがあの当時はまだ許されただけでなく、めちゃイケで田代まさしがカメラを奪い、メンバーを追いかけ回すという演出ができた。
謹慎明け間もない時期にそれができたのだから、すごい時代であるが、21世紀に入って間もない時期である。
たった20年でこうも変わるかという話ではあるが、そりゃ20年でこれだけ変われば、変化への抵抗、不快感を見せる人がいても不思議ではない。
この街録チャンネルを見ていて、懐かしくなった場面があった。
それが田代砲である。
アメリカの雑誌であるタイム誌がパーソン・オブ・ザ・イヤーというものを開催しており、田代まさしを1位にしようと2ちゃんねるのユーザーが立ち上がった。
結果的に田代まさしが1位、2位がアルカイダのオサマ・ビンラディンとなったが、そんなものを認めるわけにはいかないと中止になってしまう。
そこで味をしめたのか、2003年には中日ドラゴンズにFA移籍し故障で全く投げられなかった川崎憲次郎をファン投票1位にさせる「川崎祭」も起きる。
2ちゃんねるは悪趣味かつ予定調和を壊す行為が好きで、様々なことが起きた。
それが24時間テレビのマラソンを監視する動きや、27時間テレビの企画でビーチクリーン活動をするので先んじてやってしまおうという企画などに発展する。
田代砲はミニにタコの翌年に風呂場を覗いて逮捕され、覚せい剤所持と使用が発覚して再逮捕など一連の事件が起きた直後に起きた。
この田代砲は死語だと思っていたが、DoS攻撃のスクリプトの名前として浸透しているそうだ。
1人の有名人が犯罪をやらかし、それが今も語られ、そして元ネタを知らない人がいるなんて、なかなかあることではない。
ちなみに天響かなでという人が「田代砲」という曲を配信している。
田代まさしがどんな大物とも共演できたのは、間違いなく立ち回りが上手だったと言える。
マジメに参加して回す時もあれば、時に自らが壊しにかかる時もある。
ツッコミとして仕切りつつ、時に大ボケまでできる、当時そんな印象だった。
田代まさしが事件を起こした当時、生放送でマーシーと言っておけば、お茶の間がざわつくような感じになっていた。
植草教授の手鏡かマーシー、それを頻繁に言っていたのは爆笑問題の太田光であった。
元旦の爆笑ヒットパレードで、「まっちゃん元気?一緒にお笑いやろうよ!」と言ってのける、今も昔もあんな感じである。
若手芸人の笑顔が印象的だった。
田代まさしはどうにかこうにか更生しようとしているが、街録チャンネルで語っている通り、1度手を出すとその闘いは最後まで続くのだろうと感じてしまう。
結局周りの人間が手を差し伸べないと、生きようと必死な中で、反社からの仕事を受けざるを得ず、その中で再犯に傾いてしまうというのは、何も田代まさしだけのことではないと感じた。
それでもなお、田代まさしの周りには色々な支援者がいる。
そして、時折話題になるのも田代まさしらしい。
そんな田代まさしだが、MARCY'S おくすり手帳というものを発売している。
調剤薬局などで出すおくすり手帳にMARCY'S おくすり手帳を出す、ジョークとしては面白い部類ではないだろうか。
亡くなった志村けんをよく知る人物であり、あの当時の志村けんをしっかりと語れる人物だからこそ、色々語ってもらわないと困る。
とにかく何事もなく、このまま生きていてほしいなと心底思う。