武豊という人は地方交流重賞でとにかく強奪してきた歴史がある。
あの馬にもこの馬にも、その馬まで乗っちゃうの?というぐらいに。
もちろん武豊本人からすれば、盗っ人みたいに言われることは心外だろうが、正直不愉快に感じたことも多々あった。
しかし、個人オーナーからすれば、「武豊で負けたなら仕方ない」と思える。
だからこそ、義理をわかっていても、実益を優先する。
金持ちの道楽なら決してそんなことはないのだろうが、所詮は経営者である。
義理を重んじる経営者もいないわけではない。
しかし、1円でも多く稼ぐための最善を考えている。
それが武豊へのスイッチである。
ワンダーアキュートもまたそんな歴史を抱えた1頭だった。
ワンダーアキュートでお世話になった2012年のJBCクラシックである。
当時ワンダーアキュートは当時京都開催だった東海ステークスで大敗を喫し、休養に入っていた。
この時点で地方交流競走には何回か出ていたが、1勝もできていない。
それもあってか、人気は落ちていたが、2011年の東京大賞典ではスマートファルコンとハナ差の戦いを演じていた。
あとは左回り、距離など少し懸念材料もあるが、条件こそ違えど適性を感じさせたので、本命にした。
何よりこの日はJBC3競走の直前のレースで万馬券を当てており、なかなかの好調だった。
それもあってか、馬単で強気に勝負し、2着のシビルウォーだけを厚めに買って大きくプラスにした。
ワンダーアキュートに騎乗していた和田竜二は、これがテイエムオペラオー以来のG1級勝利だった。
それもあってか、川崎は祝福ムードに包まれる。
通常JBCは文化の日の開催だが、この年は文化の日が土曜日。
2012年のJBCは珍しく平日開催だったが、それでも多くの人が来ていた。
川崎でのJBCはその後昼間に開催されるが、個人的にはナイターが楽しかった。
ワンダーアキュートはもともと中央で惜敗傾向にあったが、JBCクラシックを勝ってもその傾向は同じだった。
少し前までスマートファルコンがいたと思えば、次にホッコータルマエがいる。
それを過ぎれば今度はコパノリッキーも出てきた。
JBCクラシックがエアポケットになり、それを突いたのがワンダーアキュートだったと言える。
そんな歯がゆい状況を打破したかったか、2013年の帝王賞から武豊にスイッチする。
しかし、武豊をもってしても、日本テレビ盃こそ勝つが惜敗傾向に変わりはない。
その武豊がワンダーアキュートをようやく勝利に導くのは2014年の帝王賞。
ただそこがピークとばかりに掲示板を外すようになると、2015年かしわ記念で和田竜二に戻ってきた。
実益を求めて可能性の高い騎手にスイッチされた後、可能性が低くなれば義理を優先する。
これはゴールドシップにも言えるし、ナリタトップロードにも言える。
非社台系馬主の宿命であり、勝ち慣れないオーナーの気の迷いである。
ステイゴールドのように明らかに武豊にスイッチして正解だったケースも中にはあるが、スイッチしたところで結局はコスパがそこまでいいわけではない。
2012年の朝日杯もそうだが、ドルチェモアで重賞も勝った横山和生から坂井瑠星にスイッチした際に、理解できないという声が強かった。
馬主が坂井瑠星を乗せてことごとく勝ち星を拾ってきたということで、強い意向により変わったようだ。
さて、2015年のかしわ記念。
この年もまたエアポケットに入っていた。
コパノリッキーもいなければ、ホッコータルマエもいない。
コパノリッキーに至ってはかしわ記念で2014年、2016年、2017年と勝っている。
この年だけ交流重賞の賞金を荒稼ぎする馬がいなかった。
ワンダーアキュートに対し、2014年東京大賞典に騎乗した武豊は、年齢を理由にもうそろそろではないかというような発言を武豊TVでしている。
この当時、9歳だから、もうそろそろというのはわからんでもない。
人気も低く、単勝は18倍。
しかし、馬体重はマイナス16キロ、これが好走のサインだったことを今さら気づく。
2012年のJBCクラシックはマイナス21キロ、初めて武豊で勝利した日本テレビ盃はマイナス12キロ。
もっとさかのぼると武蔵野ステークスはマイナス14キロでそれぞれ勝っている。
こんなに馬体重がコロコロ変わるものなのだろうか。
ちなみに引退レースの東京大賞典もマイナス13キロで6番人気3着、武豊が騎乗したコパノリッキーに先着している。
シェイプアップしたワンダーアキュートは買いである。
ウマ娘というゲームはちゃんと史実を押さえている。
体重には「不安定」と書かれ、レースが近づくとストイックに自らを追い込むと書かれている。
史実に忠実なのがウマ娘であるのは、YouTubeにあふれる解説動画を見れば明らか。
ワンダーアキュートの描き方はウマ娘のキャラ紹介で完璧であることをうかがわせる。