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「タレントに罪はない」と思うマスコミは、「作品に罪はない」となぜ主張しないのか


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hochi.news

東京リベンジャーズはマンガも映画も見たことがないものの、名前ぐらいは聞いたことがある。

人気が根強い作品においてそれなりに重要な役割を担いながら、後編の公開直前に逮捕された。

大麻所持での逮捕、ありがちと言えばありがちである。

近年はCBDと呼ばれる、大麻の種子や茎から抽出されたものが売られている。

もちろん合法であり、所持していたからアウトにはならない。

同じ大麻でも場所によってアウトとセーフが分かれるのは不思議だが、効果の違いもあるようだ。

 

北村匠海は本当に呪われているとしか言いようがなく、たまたまで片付けるには不幸の打率が高い。

普通、主演作品が1本でも出演者の不祥事で迷惑を被れば不幸認定されるが、2本目はきつい。

ネット上では細かな不幸なども合わせて、北村匠海はお祓いに行くべきだという言葉も見られる。

大きなお世話ではあるんだが、テレビか何かでお祓いに行くロケでも行けばいいのではないだろうか。

 

東京リベンジャーズ2は東スポの情報だと予定通り公開の流れになるようだが、昨今の流れでは当然であり、多くのメディアは批判できないはずだ。

タレントに罪はないからとジャニーズ事務所のタレントを起用し続けるメディア。

もちろんその論理は間違っておらず、その通り。

一方、「作品に罪はない」という言葉もある。

作品に罪はないもその通りであり、論理は間違っていない。

だったら、作品に罪はない以上、予定通り公開するのが筋であり、何も心配することはない。

タレントに罪はないが、作品に罪はあると主張するメディアが仮にあるとすれば、その理由が知りたい。

 

なぜ予定通りの公開を躊躇するかといえば、1つは不本意な盛り上がりを見せることだろう。

東京リベンジャーズ2において永山絢斗が出てくるたびに、「この時も大麻をやってたのかなぁ」とか、「タイムリープして大麻を辞めさせないと!」とか色んなツッコミが入る。

この手の不祥事をやると、立派な出演作品が立派なコントになってしまう。

1人の不祥事のせいで、大人気映画がコント「東京リベンジャーズ2」に成り下がる。

市川猿之助が市川亀治郎時代に大河ドラマ「風林火山」で武田信玄役を務めたが、武田信玄の父親を罠にハメて排除するシーンが1つの山場となった。

珍しくこの年の大河ドラマは見ていたので、そのシーンに鳥肌が立ったが、今このシーンを見ると、「まさか10数年後…」と思ってしまう。

緊急取調室が延期になったのは、劇中で市川猿之助が取り調べを受けているからだ。

緊急取調室がコメディドラマとして人気を博して、コメディ映画に発展したならいいだろうが、多少のシリアスさがある。

広末涼子の時にも書いたが、不倫や犯罪は大ボケである。

やっちゃいけません、やったらどえらいことになりますというフリがしっかりあるわけで、完璧なフリの中で大ボケをかませば漫才・コントなら大爆笑だ。

今、大爆笑に匹敵する状況だから、どんなツッコミも決まりやすい。

面白くない素人だろうが、腕のある芸人だろうが、一定以上の笑いが起きるような状況だ。

もしも瑛太みたいに永山絢斗を許さないと思うのであれば、大ボケに一切反応せず、予定通り公開される東京リベンジャーズ2が面白いとアピールするべきだろう。

ボケが困り、怒り狂うのは相方がツッコミを入れてくれない時だ。

もしくはボケを潰しに走るように、永山絢斗の演技を称賛することだろう。

これは広末涼子にも当てはまり、広末涼子の主演作品を絶賛し続けるか、擁護する、これがボケ潰しになる。

 

この時代、何か下手な発言や行動をすれば、「不快な思いをさせて…」などの文言で謝ったフリをする。

あたかも他の発言や行動において、ただの1回も不快な思いをさせていないかのようだ。

しかし、このブログに不快感を感じる人もいるだろうし、別の記事のタイトルから吐き気を催した人もいるだろう。

人が何をもって不快になるか、不愉快に思うかなんてバラバラである。

おはようございますの一言で不快な思いをした人だっているかもしれない。

だから、「不快な思いをさせて…」という謝り方はウソであり、もし本当にそう思うならば、発言のたびに言わなければならない。

そして、そんなバカげたことができるわけないことも誰もが分かっている。

不快な思いをさせたという理由では謝るべきではない。

極端な話、一挙手一投足に謝れるなら別だが、現実的に無理。

失言をしたのであれば「言葉の使い方が間違っていました」と言えばいい。

不倫であれば「民法上の不法行為を犯してしまい、申し訳ございません」と謝ればいい。

大麻所持であれば「日本における違法薬物に手を出してしまい、申し訳ございません」と謝ればいい。

不快な思いなんて千差万別なのだから、箸の上げ下ろしなどでいちいち謝らないといけない。

不快な思いを…で謝った気になっている人は、プライドが高く、単に自分が悪いと思っていないからだろう。

 

タレントに罪もなければ、作品にも罪はない。

永山絢斗が出演した作品すべて貶めるべきではなく、認めるところは認めなければならない。

一方で、1回の不祥事で出演作品がコント状態になってしまう影響を考えなければならない。

罪と作品を分けられる人が多ければ、コント問題は考慮しなくていいだろう。

ピエール瀧のように時が解決し、世間が忘れたり、もはやコントだと思ったりするのも1つの手である。

勝新太郎がいまだに伝説的に語られるのは、罪を犯してからの振る舞いが喜劇のようだからだ。

一方、コントなどを生業とするお笑い芸人が不倫などをやると、なぜか全く笑えず、特に犯罪の場合は復帰すら困難になる。

アンジャッシュ渡部建のトイレ不倫は、周囲が必死にコントにしようとしているが、まだ笑えないだろう。

 

永山絢斗の行為に対して、然るべき処分を下せばよく、裁判所が判決を出して、おそらくは初犯で執行猶予がつくだろうが、執行猶予期間が終わればそこでおしまいである。

ピエール瀧も本格的に活動を再開したのは執行猶予が終わってからのことだ。

競馬の騎手が騎乗停止を受けたら、本来その時点で済んだ話となり、それ以上何かを言うのは野暮である。

罪を作り出そうとしているのは、制裁が済んだのにそれを認めない人たちではないだろうか。


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