日課のようにスーパーマーケットを利用するのだが、時折子供を怒鳴りつける母親に遭遇する。
得てしてヒステリックな怒り方で、少なくとも理性的な振る舞いには見えない。
「私は子供に振り回される被害者!」みたいな態度にすら見える。
家事も育児もやらなきゃいけないとなれば、「なんで私ばっかり!」と被害者意識が出るのは無理もない。
もちろん、父親にもそういう父親はいる。
さすがに子供をぶん殴る父親を見かけなくなったが、少し前はそれなりにいたような気がする。
そういう光景を見ると、じゃあ何のために結婚して子供を産んだのだろうと、ひねくれ者な自分はそう思う。
ただ、言いたいことはそういうことではない。
実感している方もいるだろうが、世の中的に余裕がない人が多い。
公衆の面前で怒鳴ってしまうような父親・母親も行ってしまえば余裕がない人の一部である。
こうした父親・母親の姿を見た第三者の人間が、「あんなヒステリー野郎が俺の母親じゃなくてよかったわぁ」みたいな嫌味を、その親に聞こえるようにわざと大きめで言ってくる可能性は考えておくべきである。
好戦的な方の返答の大半は、「あなたには関係ないでしょ!」みたいな言葉である。
ただ相手も好戦的だと、「ここはあなたの家ですか?公共の場かどうかの区別もつかないのが人の親なんですか?」みたいなことが返ってくる可能性もあるだろう。
この瞬間、自分の子供への怒りはもちろん、存在すら一時的に忘れている。
ケンカを売られたとばかりに戦いを挑もうとする人もいるだろう。
「あんたね、いくらひねくれてるからってそれは妄想が過ぎるよ!」と思うのは無理もない。
残念ながら、世の中には好戦的、もしくは歪んだ正義感をお持ちの方がいる。
そもそも、「結婚もしていないあなたに何がわかるの!」という言葉は昔から、子供を抱えるママなどが発してきた言葉である。
根底にあるのは被害者意識であり、「私のことなんか誰もわかってくれない!」という思い。
言ってしまえば、これらは相手に付け入る隙を与えており、ここが弱点だと言わんばかり。
好戦的もしくは歪んだ正義感を持つ人は、不思議とそういう嗅覚が働き、不思議とクリーンヒットが入る。
公衆の面前で子供を怒鳴りつけるのはいいが、誰にとってメリットがあって、誰にとってリスクとなり得るか、理性的に考えて行うべきだと思う。
第三者がいきなりダル絡みして、思わずカチンと来て言い争いになったら面倒なことになりやすい。
そこそこの地獄絵図であり、何の意味もない修羅場である。
そもそも大人の喧嘩は異様に盛り上がる。
収録中に、陣内智則が永野につかみかかるという出来事があったが、色んな芸人が面白おかしく語っている。
喧嘩の当事者もそうだが、仲裁する側も見守る側もエキサイトする。
プロ野球の乱闘がいつまでも記憶に残るのは、強く感情を揺さぶられてエピソード記憶に残りやすいからだ。
誰かが怒鳴っている、キレている光景をみてワクワクする人も一定数存在する。
もっと怒らせてやろうとわざと燃料を投下する人だっている。
他人の「スペイベ」のために、自分を犠牲にする必要はない。
ただ、公衆の面前で子供を怒鳴りつける行為は、その余地をかなり与えている。
ヒステリックになりやすい人は、覚悟を決めるべきだろう。
どこかで取り返しのつかない事件が起きるかもしれないと。
でも、それはその時考えるとして、とにかく今この感情を処理することが重要!というスタンスがいいと思う。
公衆の面前で子供を怒鳴りつけても周囲が無関心でいてくれることに感謝すべきである。
周囲が少しでも関心を持つと、途端にその身は危うくなる。
これはハラスメントにも置き換えられる。
ハラスメントに勤しむ方は、ふと我に返り、今まで何もなかったことに感謝した方がいい。
結局ハラスメントというのは、相手に「いつでもハラスメントをした人物の命を奪えるスイッチ」を与えているようなものだ。
何もないことに感謝する、ヒヤリハットがあれば一層そう思う。