お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」
昨年の話になるが、5月に祖父が、12月に祖母が亡くなった。
5月に祖父の告別式があったのだが、ここで自分は痛恨のミスを犯す。
家族葬のはずだったが、田舎だと家族葬だったとしても、義理を重んじるのでついついやってきてしまう人が出てくる。
そのため、親戚と一緒に受付をしていた。
受付をしているとそろそろ時間だと言うので、その足で会場に向かう。
その時、自分はまだ失態に気づいていない。
最前列に座り、両親の隣に座ったところで、自分は気づいた。
スリッパのまま、会場に入っていたことに。
当然ながら周りを見渡してもスリッパの人間なんかどこにもいないのだ。
黒いスリッパで履き心地がいいから、スリッパであることを忘れていた。
こうなると、何にも頭の中に入ってこない。
まさか靴を履き直しに戻るわけにもいかないし、トイレと偽るのも筋が悪い。
さて、どうしようか。
でも、自分はあることを思った。
「堂々と、自然にふるまっていれば、細部まで目を向けられることはない」と。
お焼香も久々なので、所作が不安だったはずだが、それどころではない。
とにかく堂々とすることを心がけ、お焼香を済ませた。
家族は自分がスリッパを履いていることに気づいたようだが、そんなことは関係ない。
いかに周囲にバレずにやり過ごすかであって、この際、両親や妹にバレてもいい。
棺の中に花を入れるところでも、堂々と振る舞い、これで大丈夫かと思った。
ところが、である。
告別式なので火葬場に行かないといけないのだが、流れの中で棺を運ぶことになった。
運ぶだけなら足元は周囲に見えないから好都合だが、自分の場合は孫なので、父親が遺影を、父親の姉が位牌を、自分が骨壺を持つことになった。
スリッパとバレないように歩くにしては、いささか長かった。
しかし、堂々としているとバレないものである。
挙動不審だから職務質問を受けるのであって、堂々と普通にしていたらおそらくされないのだろう。
幸い、父親と父親の姉だけが霊きゅう車に乗って火葬場に向かい、自分は乗らずに済んだ。
さすがに、母親と妹が機転を利かしており、周囲にバレることなく、事なきを得た。
今思い出すだけでもゾッとする。
どこが「死ぬかと思った」のかと思われるかもしれないが、読んでいただいたあなた自身が、実際にこれを体験し、万が一バレたらどんなことになるかを想像してほしい。
悲しい空気の中、孫がスリッパを履いているという間抜けぶり。
地方のコミュニティにおいて、そんなミスはやってはいけないのだ。
お題とは関係ないが、5月の時にまだ生きていた祖母が施設からやってきていた。
祖母は認知症で、自分の顔どころか、父親や父親の姉のことも覚えていなかった。
祖母はとにかく口うるさく、特に父親との激しい口論が当たり前だった。
大変申し訳ないが、父親だけでなく、嫁姑関係で散々いびられた母親も、自分も妹も、みんな憎悪に近い感情を祖母に持っていた。
しかし、認知症でもはや何も覚えていない人と対面すると、人は憎悪を捨ててしまうのだと気づく。
もちろん、それは認知症を発症してからずっと施設に入り、コロナ禍もあって1度も面会に行けず、世話もしてこなかった無責任な立場の考えと言われればそれまでだ。
でも、憎悪を完全に捨てた状態で祖母の最期を看取ることができたのは本当に良かった。
当たり前だが、靴をしっかりと履き、通夜・告別式に参加できた。
ただただ、祖父の告別式での通夜は失態でしかなく、悔やんでも悔やみきれない。
やはり、今思い出すだけでもゾッとする