子供ながらに、有名人の訃報でショックを受けたのは逸見政孝だった。
この前までテレビに出ていた人が亡くなるという衝撃。
当時まだ小学校にも行っていない年齢だったが、ガンを打ち明ける会見はおぼろげながら覚えている。
もう亡くなってから30年近い時が経とうとしている。
まだバブルの香りが残っていた時代だった。
三浦春馬、竹内結子、神田沙也加といった一線級だった方たちも自ら命を絶ってしまった。
自分と同世代の人間が自ら命を絶つ衝撃は、経験してようやくわかった衝撃である。
自分の祖父母が相次いで亡くなったのも昨年で、早起きをして急いで帰省しなければならず、早めに寝ようとしたその時、神田沙也加の転落事故の一報を知る。
神田沙也加、当時SAYAKAだった時代、デビュー曲を買っていた。
春に亡くなっていた祖父を、追いかけるように天国に旅立った祖母の葬儀に出るために、寝なければならない。
同世代の人間、自分からすれば華々しく活躍していた人が死を選ばざるを得なかった。
色々考えているともう寝られない。
少しウトウトとするも、ストンと落ちることもなく時間が過ぎる。
パッとスマホを見てしまう。
神田沙也加が亡くなったニュースがあった。
葬儀場で見る神田沙也加のニュースは、形容しがたいものがある。
同級生が病気で亡くなる経験もしているし、従兄弟が交通事故で亡くなる経験もした。
その都度、自分はあることを言い聞かせていた。
どなたの言葉か忘れ、どの媒体だったかも定かではないのをご了承いただきたい。
魂が強くて天国で強く求められていた人間だったから、早く亡くなることになったという内容の話を聞いた記憶がある。
天国で必要とされた人間だからこそ、この時代を早めに抜け出すことになってしまったのだ。
自分はスピリチュアル的な話は信じないが、この話だけはなんとなく覚えている。
自ら命を絶つことは天国だと重罪という話もあるようだが、天国でも配慮してくれると信じたい。
まぁこれもスピリチュアルな部類だが、そう願いたい。
語り継いでいくことで、その人は多くの人の心の中で生き続ける。
語られなくなった時が本当の死だと思う。
志村けんが亡くなっても、先週日曜に放送されたドリフに挑戦というコント番組が放送されている。
生きている人間の務めは、無念の心を抱いて亡くなった人間について語り継ぐことだ。
決して追いかけてはいけない。
語り継ぐ中で気持ちの整理をつけて、過去に学び、未来に活かすしかないのだ。
上島竜兵の話は、多くの芸能人、視聴者が語り継いでいくことだろう。
団体芸だって、定期的に懐かしまれて、ドリフに挑戦する企画があったように、ダチョウに挑戦!的な企画もいずれ出てくるはずだ。
一生懸命語り継いでいけば、新たにその魅力を知る世代が出てくる。
そうすることで、もう1つの命は延命ができる。
無念としか言いようがない。
だけど、文字通りの裸一貫で挑み続けた上島竜兵のことは、できる限り語り継いでいけるようにしたい。