競馬とボート、パチンコパチスロをダラダラやる男のブログ

競馬やボート、パチンコパチスロの話題を中心に、賭け方をよりスマートにしながら、試行錯誤を繰り広げているブログです。


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誠意ある謝罪なんぞこの世には存在しない


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謝罪は所詮打算の産物に過ぎない。

妥協して許すのではなく、面倒だから終わりにすることが多い。

要するに、相手に「これ以上面倒」と思わせる程度に謝ればいいのである。

そこに本心か偽りの心か、そんなものは関係ない。

一番理想なのは、省エネで相手がバッシングされるような状況に持ち込むことである。

誠心誠意を装ってひたすらに謝罪し続ければ、多くの人は騙される。

一部の人は騙されないが、多くの人は騙され、「あの人はあなたにずっと謝罪し続けているのに許さないってどういう了見なの?」と思い始める。

明らかに被害者だったにもかかわらず、気が付けば加害者寄りになっている。

この状況になってしまえば、明らかな加害者なのに被害者的なポジションになれる。

所詮、謝罪なんてそんなものだと思う。

そもそも気持ちのいい謝罪を受けた人っているものだろうか。

結局気持ちのいい謝罪を受ける人はそれなりに立場が強い人である。

立場が弱い人に対して誠意ある謝罪をしたって何1つ得がない。

なぜ誠意ある謝罪をするかといえば、謝罪に得があるからだ。

 

自分は色んな謝罪を経験してきたし、自らも謝罪してきた。

ここぞとばかりにこれまでの不満をぶちまけるジャックポットタイプの怒りを見せる人がいる。

個人的にはある種卑怯な怒り方だと思ってしまうので、自分はやらないようにしている。

あとは、ヒステリックな振る舞いをして相手を呆れさせる謝罪の仕方をする人もいる。

自分の母親がそのタイプで、私がここで死ねば許してくれるんだよね?!と言わんばかりに頭を机などに打ち付ける光景を何回も見た。

すると、子どもとしては、この人怒らせると面倒くさいなぁと心底思わされる。

謝罪する側がここまでしているのに、許そうとしないお前は人間のクズだ!という状況に持ち込むのが、自分の母親はうまい。

でも、その場をしのぐ謝罪としてはベストに近いか、ベストではないだろうか。

私がここで死ねば許してくれるんだよね?!と言わんばかりに頭を机などに打ち付ける光景において、もっと打ち付けて!もっともっと!なんて煽りを入れる人はいない。

仮にいたとしたら、それは謝罪どうこうのレベルではない。

普通は、「面倒くせぇなぁ」と思うか、「こいつメンヘラなのか」、「こいつ頭おかしいのかな」とか、色々感じる。

野々村竜太郎という議員がいたが、まさにあんな感じである。

彼に何の疑惑があったかなんて誰も覚えていないが、号泣して謝ったシーンは誰しもが覚えている。

そして、野々村竜太郎に対して今でも憎しみの気持ちを持つ人もほぼいない。

謝罪するのであれば、「こいつに何を言っても意味ない、時間の無駄」と思わせるのがいい。

ただしそれは後先を考えない、その場だけをしのげればいい謝罪である。

 

では、まだまだ関係性を続けたい場合の謝罪のベストは何か。

これはもう、「あの人あれだけ謝っているのに、まだ許さないってクズなの?」と周囲に思わせるほど演じ続けて、被害者に加害者的な役回りを乗っけさせることである。

言い訳もせず、「お前も少しは悪いだろ!」と思っていても黙って頭を下げ続け、罵詈雑言をとにかく受け止める。これに尽きる。

「あのバカ、被害者ぶって偉そうに、可哀そうなボケカスだな」と思いつつ心の中で笑っていればいい。

このように書くと、めちゃくちゃ最低で、「お前が一番クズじゃねぇか!」と常識ある人は誰もが思う。

でも、自分がすべて悪いと心底思いつつ謝れる人ってどれだけいるだろうか。

心のどこかで「僕は悪くないもん!みんなやってるもん!」と幼稚な自分がいる。

幼稚な自分を殺し、心底自分が悪いと思い、最大限の謝罪をしている人がいたら、すぐにわかる。

殺し切れずに、幼稚な自分が謝罪の際に出てしまうから、謝罪がうまくいかない。

多くのケースを見ても、プライドが邪魔をして気持ちいい謝罪にはならない。

誠意ある謝罪は時にこれまで築き上げたものを全否定する必要がある。

自分のやってきたことを全否定し、自分を最下層に持っていき、ひたすらに頭を下げれば、普通は許されるし、相手が許さなければ相手が悪者になる。

そのためには、「あのバカ、被害者ぶって偉そうに、可哀そうなボケカスだな」と思っていなきゃやっていられない。

そう思わず、本心で実践できている人に自分は敬意を表する。

 

ここ最近ではヒカキンや若新雄純の謝罪がそのパターンにある。

若新雄純に関してはゲームのリセットボタンを押すように、足を洗うように全面的に謝罪した。

ここまでされて、おい若新!謝罪が足りないぞ!と言ったらそれこそ見識を疑われる。

ヒカキンに関しては、俺は悪くない!と言っても何らおかしくない話だったが、それでもヒカキンは全面的に謝罪した。

その結果、ヒカキンに対して徹底的に糾弾する声はほぼない。

謝罪は江戸時代の火消しに似ている。

延焼を防ぐためにあらかじめ家を壊してしまって防波堤にするというものだ。

若新雄純であればメディアの仕事などをすべて辞めるのがそれである。

ボディーブローのように謝罪を要求され続けるのであれば、多少損をしてでも謝った方がいい。

若新雄純はいずれ戻ってくるか、どこかしらで影響力を再び得るだろう。

将来的にその権利を得るのであれば、いい謝罪だったのではないだろうか。

不祥事を起こして謝罪するハメになった人がどんな振る舞いを見せるのか、その点を注目すると面白い。

こんなことを書いてる自分が謝罪に追い込まれることもあるかもしれない。

醜さの極みみたいな謝り方だけはしないようにしておきたいが、果たしてどうだろうか。


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