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ジャニー喜多川の性被害問題でジャニーズが避けるべき、AKSの二の舞


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ジャニー喜多川からの性被害に関する問題はいまだに収拾がつかない状況にある。

今最も沈静化を願うのは、ジャニーズ事務所はもちろんのこと、メディア側ではないかと思っている。

メディアが「タレントに罪はない」の一点で正面突破を図れるのならば、「作品に罪はない」という理由で市川猿之助が主要な役を務める「緊急取調室」も公開すればいいのではないだろうか。

確かに「タレント」にも「作品」にも、この場合、罪は全くないのだから、起用したり公開したりするのは何1つ悪くなく、どうしようと余計なお世話である。

しかし、罪はないからといって起用し続ければ、長い目で見て偏見を生むだけではないかと感じる。

 

いいお手本になるのがNGT48を巡り、AKSがとった対応である。

当時メンバーだった山口真帆の自宅に男性たちが押しかけて暴行を受けたという事件が起きた。

警察は男たちを逮捕したものの、結果的に不起訴となる。

しかし、1か月が経過しても事件の事実は報道されず、たまりかねて山口真帆が配信で暴行の事実を暴露した。

当然世間は大騒ぎとなるが、暴露の2日後に行われたNGT48の3周年公演で山口真帆が謝罪することになった。

段々とメンバーの関与が疑われ、メンバーが黒幕のような意見も飛び交う事態になっていく。

週刊文春など複数のメディアはNGT48側、AKS側につき、フラットに扱っていたのはNHKや地元メディアなど限られていた。

運営側はとにかく自分たちの体裁を守ることで精一杯で、メンバーを守ろうとはしなかった。

そして、メンバーに対しても混乱の責任を取らせることなく、被害者の山口真帆などが追い出されるように辞めていく。

正義はこの世に存在しないのかと言われても仕方のない、後味の悪い展開を見せた。

 

メディアはできるだけ扱いたくない、NHKはフラットに扱う、運営は自分たちの体裁を守ることで精一杯など、ジャニー喜多川からの性被害問題に揺れるジャニーズ事務所と似通う部分は多い。

当時AKSの代表取締役だった吉成夏子氏も会見に出てこようとしなかった点も同じである。

その後、NGT48関連の番組はどんどん終わり、AKBグループの番組も一斉に終わる。

第三者委員会における運営の振る舞いがあまりにも稚拙だったため、総スカンを食らってしまう。

世間が忘れだしたのでようやくAKBなども仕事がだんだん増え始めたように思うが、この4年で致命的な影響を受けてしまった。

特にNGT48やそのメンバーに降りかかった災難はあまりにも致命的で、タレント活動にかなりの支障を生じさせる結果となった。

お咎めなしにせざるを得なかったにしても、メンバーを守ろうとしなかった運営のスタンスは、将来的な可能性すら失わせたという点で罪が深い。

 

ジャニーズ事務所は第三者委員会を設置するか、設置しないかの岐路に立たされている。

第三者委員会を設置する以上、AKSの二の舞は絶対に避けなければならない。

第三者委員会を設置しない以上、自分たちで徹底的に調査を行い、過去の清算をしなければならない。

どの道も今のジャニーズ事務所、現体制では非常に厳しく、社外取締役を入れたところで難しいだろう。

AKSの時と決定的に違うのは、現役のジャニーズメンバーが何1つ悪くない点である。

もはやここでしか、メディアもジャニーズ事務所も正面突破をする術を持っていない。

報道したらあなたのメディアでは起用しませんよと忖度させるように仕向け、メディアがタレントに罪はないと言えばすべてが丸く収まる。

しかし、それだと想像を絶する致命的な結果をもたらすのではないだろうか。

藤島社長が断腸の思いで第三者委員会を設置し、ジャニー喜多川が起こした性被害について断罪し、被害を訴え出た人たちに全面謝罪をすれば済む話である。

ハレーションはあるだろうが、ダンマリを決め込み、メディアにも協力してもらうやり方をするより数段、数十段マシだ。

AKSと同じようなことを行い、結果として企業活動にすら影響が出るのは天下のジャニーズとして許容できるのだろうか。

ジャニー喜多川の功績そのものすら否定されるべきだとは思わないし、その手の才覚はあったのだろう。

ここすら否定するとジャニーズのOBは怒り狂うだろうし、その気持ちは当然である。

性被害は断罪すべき、功績は功績として認めるべき、分けて考えることは全く難しくないはずだ。

しかし、日本ではこの分けて考えることができず、すべてが一緒になってしまう。

だから、作品にすら罪があるように思われ、タレントも悪いような扱いになる。

この日本において「○○に罪はない」を徹底するのは非常に難しい。

実績すら否定されないといけないというのはおかしな話である。

そのおかしな話が、当然の話としてまかり通ることが現実なのだ。

 

メディアの力は強くうやむやにできる可能性は高く、あと数か月もすれば沈静化するかもしれない。

しかし、沈静化させてもその影響は必ず出てくる。

その影響をモロに受けるのは誰か、それはあえて言わなくてもわかるだろう。


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