競馬とボート、パチンコパチスロをダラダラやる男のブログ

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サンデーソングブックでの発言で過熱した山下達郎バッシングから感じた様々なこと


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リアルタイムで聴いていたが、本心ではないことを言わされている感じではなかった。

自分の思ったことを率直に発言したということだろう。

しかしながら、これでは逆効果だろうなと感じた。

最大の理由は、「問題視する人が求めていること」からは大きく逸脱した発言だったからだ。

昨今のスシローなどの一件もそうだが、怒っている人が何を求めているかといえば、全面降伏、間抜けな顔をして白旗を挙げて、全財産すべてを捨てて、許しを請うようなことだ。

もしくは、問題視する人がスカッとするような言葉を言ってもらうこと。

松尾潔の一件で山下達郎バッシングが巻き起こり、バッシングに加担する人らを納得させるために山下達郎ができたことは、ジャニー喜多川やジャニーズ事務所への糾弾や松尾潔への全面謝罪など。

しかし、そんなことができるはずもなく、山下達郎がそこまでする必要はない。

ゆえに、サンデーソングブックで釈明すると報道があった際、意味はあるのだろうかと感じた。

もちろん自分の言葉で語ることは重要だが、到底納得のいく言葉は出てこないことは当初から明らかだった。

しかも、ご縁と御恩など、なぜそれを今言うの?という言葉を並べ、逆撫でさせた挙句に、嫌なら聴くなと受け取られかねない言葉で締めた。

ゼロ回答ならぬ「マイナス回答」だったこともバッシングを加熱させている。

 

一方で注意しなければならないのは、山下達郎をバッシングする側である。

ジャニーズ事務所へのバッシングは当然必要だと思うが、山下達郎などを過度にバッシングしたところで、いずれその矛先はバッシングする側の政治的なスタンスに向けられていく。

現に松尾潔に対し、バックにとある政党がついているなど、短絡的と言わざるを得ない噂も飛び交っている。

こうなると、泥仕合になりやすく、「お前さえ我慢していればよかったんだ!」みたいな言葉が説得力を帯び始める。

松尾潔の行ったことは全く悪いことではないが、100%混じりっけなしの正義で行ったのだろうかという目を向ける人も出てくる。

最初は正義があったのに、強硬な反対で秩序を一部壊したことで、サイレントマジョリティーが強烈な不快感を示し、頑なな姿勢を示すようになる。

なぜサイレントマジョリティーになるかといえば、自らの発言に責任を持ちたくないから黙るだけで、実際には各々意見を持っている。

まぁ発言している人間全員が責任感がある振る舞いをしているとも思えないが。

人間関係もあるので、明確に支持するともしないとも言えない、言うこと自体が損という状況だ。

 

リスク回避のためには無色透明ど真ん中を徹底するしかない。

何も言わない、語らない、わからないと言い張るなど、無色透明、スカスカでないとこの時代は何もかもがリスクになる。

山下達郎に対し、これほどのバッシングが巻き起こっているのは、無色透明ど真ん中だと思っていた方が多かったということなのだろう。

しかし、山下達郎は決して無色透明ど真ん中ではなく、コロナ禍で、政権批判は止めようというメッセージをサンデーソングブックを出す時もあった。

この時は一部メディアしか話題にしなかったが、ここ数年は少なくとも無色透明を徹していなかったように思う。

今の人気者は揃いも揃って無色透明ど真ん中である。

これを徹底するのは本当に大変で、少しでも色が出ればその色を嫌う人から猛バッシングに遭う。

どこかで無色透明に安心というか、バカにしていたり、下に見ていたりする部分があるのかもしれない。

 

ジャニー喜多川の性加害問題に関して、芸能界では噂になっていたとビートたけしが語るように、噂は誰もが耳にしていた。

知らなかったといえば叩かれるし、知っていましたと言ってもなぜジャニーズとの仕事を続けたのかとも言われる。

恐らくだが、山下達郎の一件を受けて、芸能界や音楽界のレジェンドたちは余計に語らなくなるのではないだろうか。

ジャニー喜多川のすべてを全否定しない限りは許されない状況になりつつある。

この状況では誰も語りたがらず、結局はジャニーズ事務所の逃げ切りを許すハメになるのではないか。

いじめの傍観者からすれば、自分が餌食になりたくはないし、自分には関係のないことだから、助けもしないで傍観者でいようとする。

ジャニー喜多川の性加害を見聞きし、「あなた方ジャニーズとは仕事をしません」と当時宣言したら、どんなことが起こりうるか、想像すればおのずと答えは見えてくる。

業界であらぬ噂が立ち、忖度で仕事ができなくなり、やりたいことができなくなる可能性があるだろう。

ジャニー喜多川の性加害を糾弾し、ジャニーズと決別することにどんなリターンがあり、どんなリスクがあるか、考えてみると得は少ない。

人間は基本的に損得勘定で動き、損得勘定抜きで動ける人はよほど余裕がある人間である。

ノーリスクで語れるものには思い切ったことが言えるが、少しでもリスクのあることになれば誰も語れなくなる。

立場が変われば誰だって山下達郎のような状態になるだろう。

裏を返せば、息巻いて語れば語るほど、立場が変わった際に自分で自分を苦しめることになる。

そして、打破しようとした結果、間抜けな姿を晒し、幻滅されてしまう。

現実的に考えると、あの時代に何かしらのアクションは起こせないだろう。

今更細々と、一汁一菜の生活でも構わないから正義を貫き、正しいことだけをやって清貧的に生きるなんて、多くの人は思えないだろうし、山下達郎もそうだったかもしれない。

 

この問題は、なぜ戦争を止められなかったのかと当時の人たちに質問するようなものだ。

空気感が有無を言わせなかっただろうし、リスクを負ってまで主張してもリターンが少なかった可能性が高い。

あの戦争はおかしかった!と言えるのは結果をすべて知っているから言えることであって、内部の人はメンツや立場もあって言えないし、国民は情報統制で本当の情報を知らなかった。

当時も今も、1人1人はおかしいと思いつつ、集団の中に入ると無力になるのは変わらない。


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