山下達郎バッシングに関して、あと1つ言いたいことがある。
7月9日のサンデーソングブックで山下達郎の発言がなされた後、この発言を聞いて、ファンを辞めたというツイートがいくつか見受けられた。
埋め込みのところにも出ているが、「ファンやめた」、「CD捨てた」などのファンとされる方たちの言葉が載せられているが、発言1つでそんなに切り捨てられるだろうかと自分なんかは不思議に思う。
例えば、元AKB48の岡田奈々に恋愛報道があった際、熱心に応援したファンが写真などをビリビリに破いて投稿した写真がTwitterに投稿され話題になった。
山下達郎の一連の報道で同じようなことが起きたとするならば、随分熱狂的なファンである。
活動実績が半世紀になるかどうかのアーティストに、発狂のような振る舞いができるだけのパワーを注げるものなのかと不思議に思う。
熟年離婚的な別れ方をするにしても、蓄積された山下達郎へのモヤモヤがないとそう簡単にはファンを辞めると宣言するには至らないだろう。
もちろん本当にファンを辞めた方はいるだろうが、犯罪でも民法上の不法行為でもない事柄、ましてや曲のクオリティ、取り組む姿勢がチープになったわけでもない中でスパッと辞められるのは少数派である。
もちろんショックを受けたり、失望したりすることは普通にあっただろうし、「おいおいマジかよ…」とドン引きした人もいるはずだ。
でも、そう簡単に好きなものを辞められるものなのかと不思議に思った。
自分は結構色々なものを好きになり、だいたい3年で飽きるのだが、あくまでも距離を置くだけで実際は好きなままである。
水曜どうでしょうがそうで、初めて知ったのが2006年でそこからDVDの副音声をひたすら聞く時期、一切情報を見ない時期、再び見始める時期など結構波がある。
今回の山下達郎の件は水曜どうでしょうの長年のファンだった人が、例えばディレクター陣のスタンスが前近代的だったことが発覚し、ファンを辞めるようなことである。
内容がつまらない、昔の方が良かったぐらいに思っていた人ならば辞められるだろうが、今度の新作を映画館で先行公開した際に駆け付けるようなファンがすぐには辞められないだろう。
水曜どうでしょうの作品は年々激しさが抑えられていき、中年と高齢者への入り口に入りかけた人たちの、大人の遊び的な内容になりつつある。
それをつまらないと捉える人は、何かのきっかけで完全離脱することは十分に考えられる。
しかし、大泉洋の面白さは年々増しており、鈴井貴之、ディレクター陣2人もそれぞれ精力的に活動しており、以前とは違う面白さがある。
その面白さがたまらない人が、仮にもスタンスが昭和的だからファンを辞めるというのは考えにくい。
ちなみにディレクター陣のスタンスに関して自分は疑問を持っているので、基本的に大泉洋と鈴井貴之が揃わないものは見ないようにしている。
でも、水曜どうでしょう自体は嫌いにならないし、今後も全否定することはないだろう。
山下達郎に話を戻すが、ファン層は50代60代70代あたりと考えられるので、ショックを受けることはあっても、ファンを辞めたと言い放てるだろうか。
ちなみに2012年の記事で、山下達郎のファン層の中核は45歳から55歳の男性と書かれていた。
そもそもTwitter自体、この年代でそんなにやらないだろうと思う。
まぁ年齢で判断するのは大変失礼な話だが。
やりたいことをやるために泥水を啜ってきた人も多いはずで、潔癖に対応できるものなのかと自分は不思議に感じた。
あと、山下達郎からすれば、今更ファンを辞められたところでどこ吹く風である。
音楽には真摯に向き合い、ホールツアーは常に満員御礼。
今回の件で人気が落ちるといっても、空席だらけになるとは考えにくい。
山下達郎は既に70歳であり、いまだに現役であることが本来すごいことである。
70歳になって、ファンを辞めたと言われても痛くも痒くもない。
晩節を汚したなどと形容されることになったとしても、山下達郎は何とも思っていないように感じる。
ファンを辞めると言ってショックを受けるのはアイドルぐらいだろう。
握手会の売り上げが死活問題なアイドルならばダメージになるだろうが、長年アーティストとして活動してきた70歳がアイドルと同じようにショックを受けたら、それはそれで面白い。
70歳のタレントをWikipediaで探していると、研ナオコや古谷徹、関根勤、円広志などがいる。
関根勤も精力的に活動し、小堺一機とコンビを組み、コサキンとして今年ポッドキャスト番組を開始し、コサキンDEワァオ!を復活させた。
例えば、関根勤のスタンスはおかしい!だからファンを辞める!というファンがいたら、なんで今更?と自分は強く疑問に感じる。
昔のコサキンDEワァオ!を聞くと、書き起こしされたら大炎上するような偏見を惜しげもなく関根勤は露わにしていた。
もっと脱げだの脱ぐなだの、服を着ろだの着るなだの、どえらい叩かれ方をされてもおかしくなかった。
その時期になんで足を洗わなかったの?という話である。
山下達郎もそうだが、あの手の意見は昨日今日で変わるものではない。
もっと前からあっただろうし、トークの中でにじみ出ていたのではないだろうか。
それには全くノープロブレムでやり過ごし、1つの事でガラッと変えるのはやはり不思議である。
仮に関根勤が20年前30年前と全く同じ発言を2023年にポッドキャストで行って炎上したら、山下達郎バッシングに思うことの数百倍、不思議に思うだろう。
洗練されたファンはショックこそ受けるが、すぐには決別しないはずだ。
もちろん、「40年くらい応援してきましたがファンを辞めました!」なんて人もいるだろう。
でも、何事にも例外があり、少数派がいるようなことだ。
山下達郎バッシングに加担するマスコミの的外れなタイトル、指摘が物語っているような気がする。