月曜日に活動休止が出た際の報道はNHKを含め、活動休止を前面に押し出すものだった。
事実無根や裁判のための活動休止をアピールした松本人志の意向はほとんど汲み取られない形だったと言える。
そんな松本人志はワイドナショー出演を月曜日に発表するも、わずか2日で取りやめとなった。
普通に考えれば当然のことである。
もしもワイドナショーで身の潔白をアピールし、相手の女性、文春が悪いと断じるようなことを言えばどうなるだろうか。
裁判になり、松本人志が仮に負けたとき、本人や吉本興業だけでなく、フジテレビの見識まで疑われることになる。
フジテレビからすれば、いきなり爆弾を持たされるようなものなので、当然嫌がる。
収録済みのものを放送するぐらいが精一杯だろう。
しかしながら、スポンサーはつかない。
吉本興業は吉本興業で、他の芸人にまで色々な火の粉が掛かり始めており、これ以上の延焼は避けたい。
吉本興業は裁判に関与せず、松本人志個人が裁判を起こすのではないかと言われている。
そのロジックはいずれわかるのかもしれない。
今回の件で松本人志の功績を否定する動きがあるが、それは違うだろうと思う。
間違いなく1990年代、2000年代、そして2010年代とトップランナーとして駆け抜けた人である。もちろん浜田雅功も。
ダウンタウンの笑いに魅了された人、憧れを持つ人がたくさんいる。
特に40代50代はダウンタウンに魅了され、強い影響を受けた人が多いのではないだろうか。
そんな中で、文春報道で松本人志の笑いが全否定されれば、自らも否定されたような気持ちになる人もいるはずである。
全否定も全肯定も、個人的にはありえないことだと思う。
どんな人間であっても、受け入れがたい部分もあれば、認めざるを得ない部分もある。
どんな人間だって常識外れな部分がある。
全てが普通で、全てが常識でできているなんてありえないし、それこそが常識外れである。
人間どこかにルーズな部分があるものだ。
女にルーズか、時間にルーズか、金にルーズか。
何かが突出して突き抜けた人は、何かが著しく欠けていても不思議ではないし、そんなもんだろうと自分は思う。
そもそも「疑惑」なので、どういう事実認定になるかわからないが。
全てのスペックがパーフェクトな人間なんてこの世に存在するだろうか。
ジャニー喜多川は才能を見抜く目はあった。
ただ性的な部分が致命的なまでに色々欠落していた。
本来、実績や功績、そして事件とは切り離して考えないといけない。
しかし、日本人の習性なのか人間の習性なのか知らないが、どうにもそれができていない人が目立つ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということわざまであるぐらいだから致し方ないのだが。
断罪すべきは断罪すべき、功績として認めるべきところは認めるべき、これは両立できないだろうか。
全てを否定しないと気が済まないというやり方は、もはや伝統なのだろうとすら感じる。
島田紳助復帰待望論がチラホラ出るように、いずれ松本人志復帰待望論も出てくるだろう。
秩序が大きく変わることは避けられない。